「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

久しぶりの人混みでどっと疲れた

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

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 日曜日(7月4日)の天神まじで人が多かった!

先日4日の日曜日欲しい本を買いに天神(福岡の繁華街)に行った。

緊急事態宣言もあけてしばらくたったってのもあったからとにかく人の量が半端なかった。

まじで道歩いていて肩ぶつかるくらいのところもあった。

濃厚接触3密ソーシャルディスタンス、そんな言葉どこへやらというくらい人が多かった。

火曜あたりまで疲れが残る

久しぶりの人混みを体験したせいか帰ったらどっと疲れが押し寄せてきた。

この疲れは火曜あたりまで続いて就労支援に行くときもかなり苦労した。

眠気がはんぱなかったです。

疲れが身体にたまっていると、頭の中のこだわりスイッチが作動して、細かいことが異様に気になってしまう。

こだわりにとらわれてしまってただでさえ少ない体力がこだわりの思考に奪われてしまって生産性もがた落ちする。

疲れが残っていいことは何もない。

「飽き性」と「変化に弱い」が同居している

今回は久しぶりの人混みということで、言うなれば「急激な変化」を経験したことになる。

僕は特性上(ASD)変化には弱い。

環境の変化や、日ごろのちょっとしたことの変化でも、なかなかすぐには対応しきらない。

しかし同時にもう一つの特性(ADHD)ゆえに飽き性でとにかく新しいことをやってみたい、という性質もある。

だから僕の中で「飽き性」と「変化に弱い」が同居しているのだ。

 

これって同じ当事者の人ならわかってもらえると思うけれど、かなり疲れる。。

例えば、

「旅で自分の知らない世界を観て回りたいけれど、旅先での過ごし方は日常と同じがいい」

「たくさんの本を読みたい、けれどその本のジャンルは偏っている」

などなど。

うえ2つじゃ何がそんなにつかれるのか伝わらないと思うけれど、僕が言葉にできないだけど相当疲れるのは確かなんです💦

 

疲れとどう付き合うかは僕たち特性を持っている人たちの永遠の課題ですね。

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

「陰口」するなら「相談」しよう

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

「誰かのことを陰で話しているのを聞く」それだけで心がモヤモヤする

「誰とは言わないけど誰々さんってさ~」、

「誰々って、正直思うんだけど・・」

などの話をきくとそれだけで僕はすごく嫌な気分になる。

たとえ自分のことじゃなかったとしても嫌な気分になる。

 

そもそも「そこにいない人の話」をその人の名前を出さずにしている時点で僕は気分が悪くなる。

たとえ名前を出さずにその人のことをほめても(←そんなことがあるかどうかはわからないが)そこそこモヤモヤする。

だから僕はその人がいないところでその人のいいところを言う場合は必ず名指しで言うようにしている。

 

陰口のメリットのほとんどは「ストレス発散」だろう。

だけど陰口はメリットに対してデメリットが大きすぎる。

・信頼を失う

・人望も減る

・人としてかっこよくない

・誰からも頼りにされなくなる

など言葉にすると短いがそのデメリットは計り知れない。

 

もちろん人間関係の中でストレスは必ず発生するものだ。

僕は人間関係のストレスは相談という形で発散するのが一番いいと思っている。

まず相談するためには自分の思考を相談相手に伝えるために言語化しなければならない。

この際にわかりやすく伝えることを心がけるなら、紙に自分の悩み(ストレス源)を書くなりしてまとめるのが一番いいのだが、この時同時に自分の思考も整理されるので相談する前から結構すっきりした状態になれる。

そして次に相談という形だと、陰口と違って相手が親身になって話をきいてくれる。

陰口だと「次は自分が言われるんじゃないか」、「この人言いふらすんじゃなかろうか」といろいろなことが不安になって話し手、聞き手双方ともに心身的に安心できない状況だ。

しかし相談なら、(もちろんプライバシー、個人情報はしっかりと守られたうえで)相談内容が他者に漏れる心配もないし、自分が逆に陰口を言われる心配もない。

そのうえで相談相手はプロの場合だと(←メンタルクリニック産業カウンセラーなど)しっかりと話し手の発言を1つ1つ受け止めて聞いてくれるので安心感が生まれる。

 

陰口をして、自分の人望や、他者からの信頼をなくすくらいならしっかりと信頼できる相談相手(相談機関)に相談したほうが誰にとってもメリットがあると僕は思う。

相談するにしても場所と相手を考えて

とはいえ、相談ももちろん場所と相手は考えなければならない。

「陰口」と「相談」の線引きは難しく、相談をしていたつもりが別の人には陰口に捉えられてよくない印象を持たれることもある。

なので相談は、

・しっかりとプライバシーや個人情報の漏洩がないと保証されている

・できればプロに任せる(←メンタルクリニック産業カウンセラーなど)

のがいいと僕は考えている。

 

現代は大きな会社だと産業カウンセラーが常駐してある会社も多くなってきているので活用しない手はない。

陰口はだれにとってもデメリットしかないので、しないように僕も引き続き心がけていきます。

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

 

 

 

難しくしているのはいつだって自分

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 生きることは至ってシンプル

人間が生きていくためには何といってもまずは「衣食住」が必要だ。

(衣は住む場所によってはさほど重要でなかったりするかもしれないが。住も世界には自分の家をもたずに生活している民族はたくさんいることから絶対に必要、というわけでないのかもしれない。)

そして「自分以外の人との人間関係」だ。

人間は誰も一人では生きてはいけない。いろいろな意味で。

 

日々をただ生きるということに限って言えば、「起きて、飯食って、糞して、寝る」。これだけで十分だ。

たぶん上記のことをするだけなら特段難しいことはないように思われる。

もちろん狩猟時代なんかで獲物を狩るのが上手下手ってのはあったかもしれないが、「起きて、飯食って、糞して、寝る」はだれでもできる。

そして言い換えれば人生というのはどのようにして「起きて、飯食って、糞して、寝る」環境を作っていくか、ってところにかかっていると僕は考える。

現代日本だったら、会社に通勤してフルタイム働いて給料を稼ぐ、ってのが上記4つの環境を作るための方法と言えるだろう。

 

働くことの大きな目的は「起きて、飯食って、糞して、寝る」環境を作っていくことにある。

しかし現代ではもはや働くことそのものが目的になってしまい、なぜこんなに一生懸命働いているかわからない人が日本はおろか世界中にたくさんいる。

「つらい」を選択している自分がいる

要は「起きて、飯食って、糞して、寝る」ができればいいんだ。

これだけをみると絶対にサラリーマンとして会社勤めをしなければならないか、と言われたらそんなことはない。

極端な話、野菜を作る能力、家を組み立てる能力があれば、無人島でもできてしまうことだ。

 

これは僕の考えだけれど、人生ってのはまず何においても「生きる」ことが最優先されると思っている。

生きるってのを分解すると「起きて、飯食って、糞して、寝る」だと僕は思ってるから、要はこの4つができればいい。

なんだ、そう考えると人生とはすごくシンプルなような気がしてきた。

 

じゃあ、なんで僕含め多くの人は「生きるって大変だ~」なんてことを言ってるのだろうか。

それは自分で大変な道を選択しているからだ。

「何言ってんだ!大変な道じゃないと生きてはいけないじゃないか!」という人もいるかもしれないけれど、実際世の中には大変な道を自分で選択していると気づいて自分が生きやすい道に移っている人はごまんといる。

それにもし仮に今大変な道、大変な生き方の渦中にいるとしても、「これは自分で選んだんだ」と思うことができれば、「ならどうすれば少しでもシンプルに、楽に生きることができるだろうか?」という考えにシフトチェンジするのが楽にならないだろうか?

 

生きる、ってのはすごくシンプルなんだ。

起きて、飯食って、糞して、寝る。あとは仲間と談笑したり、種の繁栄に励んだり、くらいだろう。

そこに仕事、お金、プライド、見栄、空気読む読まない、完璧主義、人の目、などたくさんのオプションがくっついている。

しかしこれらはオプションにしかすぎない。

人生は、生きる、とはシンプルなんだ。

難しくしているのはいつも自分だ。

 

(僕自身が考えすぎで、しょっちゅう人生を生きづらいものにしてしまっている。自分で自分を生きづらくしているのだから笑えてくる。

考えすぎで人生お先真っ暗だ!!と思ってもご飯食って、眠れるなら、死ぬことはない。だから大丈夫。と言い聞かせている。)

Life is easy.

以下の動画をぜひたくさんの人に見てほしい。

(字幕の選択画面から日本語を選択できます)


www.youtube.com

 

タイの北部チェンマイ出身のJon Jandai(ジョン・ジェンダイ)さん。

生きることがいかに簡単か(Life is easy.)をもちまえのプレゼンのうまさで語ってくれています。

ジョンさんは1日2時間、それ2か月繰り返すだけで人は十分に生きていけると語ります。

1日2時間のうちにお米を耕す(or収穫する)、そのあとに家を作る。これだけです。

ジョンさんはたくさんの家を作り、今では家がありすぎて毎晩どこに寝るか迷っているみたいです(笑)

 

「生きる」ことを難しくしているのはいつだって自分と考えることができれば、そう気づいたときに自分で生きづらさをなくしていける動機になります。

So,life is easy.

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

今日は七夕^^

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

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本日7月7日は七夕ですね^^

僕1年のうちのイベントで「節分」と「七夕」が好きなイベントランキング上位にきますね。

七夕ということで短冊の代わりではないですが、ブログに僕の願い事を書いていこうと思います。

 健康に生きられますように

子どものころはがんがん「何々が欲しい!」とか書いていたんですけれど26になりアラサーになりやはり自分の健康が僕もどんどん気になるようになってきました。

別に毎日はげしい力仕事をするくらいの体力がほしいってわけじゃありません。

ただ毎日、食べるご飯をおいしいと感じられて、晴れている日を気持ちいいと感じられて、日々の仕事を乗り越えらるほどの体力(健康)はほしいです。

ほしいたって結局は自分で調節して自分で手に入れていくしかないわけですが、お願いすることにより少しでも体力調整、健康管理がうまくいくなら御の字です^^

良縁に恵まれますように

今年で就労支援が終わり(うまくいけば)企業に就職して本格的に仕事が始まるので今から結構緊張しています。

僕が一番気になるのは「職場の人間関係」。

結局人間関係がいいとちょっとした仕事のつらさくらいなら簡単に乗り越えられるからです。

僕自身がなかなか人を信じきらない性格でもあるので、そこも少しずついい方向に変えていって自己開示もしていければなと思います。

穏やかな心でいられますように

今がかなり穏やかな心で毎日を過ごせているので、この状態がずっと続くことを心より願っています。

疲れを感じたら即休みに入る、思考に注意を奪われてもそれでも目の前のやることを続けていく、「わからない」からといっても死ぬわけじゃない、、

など自分の心が穏やかになれる言葉を自分にかけたり、穏やかになれる価値観をもったりして、とにかく何より自分が穏やかでいることを心がけています。

穏やかでいてつらい思いをすることはないです。それに普段を穏やかの心でいるからこそ、心がざわついたときの対処が楽になります。

コロナが終わりますように

最後はやっぱりコロナの終焉を願います。

ほんとうに終わってくれ!!

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

 

今できること、今あるもの

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

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 無いものねだりの引力

自分には無いものが自分に及ぼす引力はすさまじい。

「無いこと」それ一つで自分の心の中に、嫉妬、妬み、羨望、自己否定、虚無感、希死念慮etc。いわゆる「負の感情」といわれる様々な感情を引き起こす。

 

人が「無い」と認識するものの代表格には、

・お金

・生きがい

・仲のいい家族

・恋人

・友人

・スキル

・才能

・時間

・健康

などがあげられる。

中には自分の努力次第で手に入れられるものもあるかもしれないが、多くは努力ではならないものだ。

というか努力でどうにもならなかったから「無いもの」と認定される。

 

自分に無いものに目を向けているとおそらくいつまでたっても「幸せ」を感じることはないだろう。

幸せは満たされたときに感じるものだ。無いものを追い求め続けてる限り満たされることは絶対にない。だから幸せにはなれない。

 

こうやって書いている僕もしょっちゅう自分に無いものを追い求めてしまう。

それでいい思いをしたことは1度もないにも関わらずだ。

僕は幸せになりたい。幸せになることは難しくても、幸せになろうとすることはできるはずだ。

「無いもの」に目を向けると自己否定に陥ってしまうなら、その逆で「あるもの」に目を向ければいい。

今自分に何ができるのか

「あるもの」とは言い換えれば「今自分になにができるのか」、と言葉通り「今自分に何があるのか」だ。

まずはそのうちの1つ目、今の自分にはできるのか。

僕はこのブログを書くにあたってざっとルーズリーフに今の自分が何ができるのかを書き出してみた。

・皿洗い

・洗濯

・服をたたむ

・風呂掃除

・トイレ掃除

・読書

・英語の勉強

・パソコンで簡単なアプリを作る

・断捨離

ざっとこのくらい。(別に意識したわけじゃないけど全部家で一人でできることですね。)

 

自分に今できることは何かを考えるとき僕は特に「自分が能動的にできることは何か」をプラスして考えている。

例えばパソコンでのYouTube視聴も「今自分にできること」ではあるけれど完全に受動的な営みだ。

無いものを意識するのは、街中で(表面上は)きらびやかな人たちを見たときか、家で一人でいて暇で何もすることがないとき、が多い。

受動的な営みは暇で心の中にできた空隙を埋めてはくれない。(もちろん自分が観たいと思って観ているDVD視聴なんかは除く)

心の空隙に無いものねだりは顔を出す。

だから今自分ができることを考えるときは能動的に、やりがいを感じられ、充実感を得られるものがいい。

そういう意味では家事ってのは最高のやること、できることだ。

家事をしなくていい日なんてのはない。ほぼすべてが「めんどくさいからやっていないだけ」なんだ。

 

無いものが自分を苦しめてきたら、今の自分にできることを探してそれのどれか一つをとりあえずやってみる。

本当に効果的です。

今自分に何があるのか

そして「あるもの」2つ目、言葉通り「今の自分になにがあるか」。

無いものねだりをしているときは自分の無ささに悲嘆してくなる。

だけれど落ち着いて考えて、紙にでも自分には何があるかを書き出してみると案外自分にはいろんなものがあることに気づく。

これもまた僕はルーズリーフにざっと書き出してみた。

今の自分に何があるか、(具体的な物から抽象的なモノまで含めて書いた)

・自由に動く身体

・たくさんの本

・遊ぼうと声をかけてくれる友達(友達がある、とモノ扱いしているわけではもちろんなくて、友達というありがたい存在が僕にはいるってことです。)

・7年来の親友

・そこそこ自由な時間

・衣食住!!

・グーグルマップ、旅することを考えてワクワクできる心

・たくさんの考えを書き出せる紙、とペン(←マジで大切!!)

・ゲーム機

などなど。

当然もっともっとある。

おそらくこれは僕だけじゃなくてどんな人でもしっかり探してみればたくさんのものがその人の周りにはあるはずだ。

そして無いものねだりに対抗するためには、まさに「足るを知る」今の自分は十分にたくさんのものを持っていることを認識することから始まると思う。

今できることを、今あるもので、一つ一つやっていく

人生というのはつまるところ「今できることを、今あるもので一つ一つやっていくこと。それの連続、積み重ね」だと思っている。

今自分にあるもので、今自分ができることをやっていけば、無いものに振り回されることはグッと減っていくと思う。

実際僕も「今」に集中をするようになってから心に落ち着きが生まれる回数が体感でわかるくらいに増えた。実際に何人かの人には「落ち着きが出てきましたね」、「余裕がありますね」とも言ってもらえた。

 

無いものは、今を一生懸命生きる上で手に入ればラッキーくらいのスタンスでいてある。

ゲットできればラッキー、がないからといって人生真っ暗ってことにはしたくない。

今日も僕は自分にできることをあるもので一生懸命やっていきます。

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

 

 

この歳まで生きることができたことに心から感謝。今年も生きます。

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

これを書いているのは7月2日の金曜日。

明日3日に僕は26歳になる。

そうかもう26か。

この歳まで自分が生きられた、ということはそれだけたくさんの人に支えられたってことだ。

本当にありがとうございます。

 

希死念慮が特にひどかった時期がこの26年間の間に3回ほどあった。

頭の中は死ぬこと1色だった。

だけれど生きた。

とりあえず明日。とりあえず今日だけ。今日だけを生きよう。

17の時毎日が地獄だった。

学校は地獄、家も居場所がない、味方はいない、本当に目の前が真っ暗になり死にたくて仕方がなかった。

でも生きた。

単純に死ぬのが怖かった、ってのはある。

だけれどやっぱり僕は心の底では生きたいと願っている。本気で生きたいと。

だから生きた。生き続けた。

 

今生きていて本当によかったと思っている。

「つらいことがあったぶん今報われた」とか「生きていてよかったと思えるような運命の人に出会えた」とか、そういったことが理由ではまったくない。

ただ理由はないが「生きてるって素晴らしいな」と思えるようになった。

毎日変わりばえのしない日々。

朝夕は納豆ご飯とお味噌汁、お昼ごはんは弁当屋さんのお弁当(←これが最高にうまい^^)

平日は朝から夕方まで就労支援に行きアプリケーションやらホームページの制作。これは今年で無事企業に就職することができれば来年からなくなる。(それはそれで寂しいけれど)

家に帰ると、英語の勉強と読書。それとポケモン対戦。

あとは風呂に入り(ほぼ毎日シャワー)、週に1,2のペースでDVDで映画を観る。

休日はお昼前に起床して、就労支援に行く以外はほぼほぼ平日と同じ。

最近はありがたいことに友達が遊びに誘ってくれるからよく外出している。僕も誘うようにしているから結構休日はアクティブになってきてる。

 

と、こんな感じの毎日を冗談抜きでずっとずっと続けている。

平凡な毎日だがその分心がかき乱されることがない。

僕の心は今26年生きた中で最高と言えるくらいには穏やかだ。

だから「何かがあるから幸せ」じゃなくて、「何もなくてもここにいることの幸せ」(しいて言うなら「衣食住がある幸せ」)を感じることができるようになってきたのかもしれない。

 

生きてくってのは本当に大変なことだ。

誰しも1人で生きていくことは絶対にできない。

今僕がここに生きているのは数えきれない人達のおかげで成り立っている。

そのすべての人たちに心から感謝をする。

本当にありがとうございます。

 

僕は「100まで生きる」と決めています。

今年1年も落ち着いて、たんたんと目の前にある自分ができることを1個1個やっていきます。

ブログも引き続き継続していきますので何卒よろしくお願いします。

 

今日もよろしくお願いします。

 

 

僕はこれから何度も失敗する

おはようございます、

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 過去の失敗は、未来の失敗により気にならなくなる

過去の失敗、特に大勢の前で赤っ恥をかいたことなんかは何年時がたとうとも頭の中から消えてくれない。

・100人ほどのお客さんの前でネタをして誰一人笑わず、エアコンの音がうるさかった。

・女性とのデートで滑りまくって大恥をかいた。

・知ったかぶりを振りかざして、そこをストレートに突っ込まれて笑い者にされた。

・その土地の方言を無理に使いまくって、しらけた空気にした。

・何よりたくさんバカにされてきた

 

特に好きなコントで滑り倒したときのことは(幾度となく滑り倒してきたけれど)忘れたくても忘れられるようなものじゃない。

ではこういった過去の失敗を気にならなくするには、もっというなら「そんなこともあったな~」というためにはどうすればいいのか。

いろいろ方法はあると思うけれど、僕が実行しているのは「過去の失敗を気にならなくするくらい、今も未来も失敗していくこと」だ。

失敗とはいうなれば「挑戦した証」。

挑戦したからこそ失敗が発生するんだ。失敗しない人ってのは挑戦をしていない人だ。

 

だから過去の挑戦による失敗も、今とこれからの未来の挑戦により生まれる失敗で気にならなくしてしまえばいい。

たくさん失敗するためにはたくさん挑戦をしなければならない。

英語で失敗しまくってる毎日

僕は毎日英語の勉強を少しずつではあるがやっている。

その中でオンライン英会話をやっていてネイティブの先生と実際に会話ができるのだけれど、まあそこでありえないくらい失敗を犯すのだ。

前置詞の細かいニュアンスの違い方から、時制を選択し間違えたり、シンプルに使う単語を間違えまくったり、ミスの連発だ。というかミスしかしていない。

それでも始めたころよりは幾分かはよくなっている、だけれどまだまだミス、失敗、間違いのオンパレードだ。

だけれど失敗だろうが、間違いだろうが、とにかく口にしたら頭を使うし、身体も使うから、口にしないよりもずっと記憶に残る。

失敗は目標達成のための必要経費

僕はこの人生において「世界中を見て回る(※危険な地帯は除く)」という目標を掲げている。

これは絶対に達成する目標だ。そう決めている。

この目標を達成するまで、僕はありえないほど失敗するだろう。

だから失敗は目標達成のための必要経費なんだ。

バカほど失敗して、失敗することを恥ずかしいだとか、かっこ悪いだとか思わないくらいに失敗すること。

落ち着いて、できる目の前の挑戦から1つ1つ今日もやっていきます。

 

今日もよろしくお願いします。

 

 

 

「礼儀正しい」で失敗することはない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

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 ビビりがゆえに礼儀正しくするしかなかった

僕は昔から大のビビり野郎だ。

怖いことは嫌だし、すぐに弱音を吐くし、ちょっと反論されるとすぐに泣きそうになる(これはマジ)

だから人に接するときは大事を起こさないように礼儀正しく、物腰低く接するしかなかった。

いばって接してしまって相手を怒らせてしまって怖い思いをするのが嫌だからだ。

 

こんなもんだから学生時代(特に中高)のころはいろんな人に馬鹿にされた。

言い返すこともしないし、きつい言葉も言わないから、相手からしたら暴言をぶちまけられるかっこうの的だったのだろう。

 

だけれども社会に出てから状況は変わった。

「礼儀正しい」ということが評価されるようになった。

「評価される」といってももちろん表彰されるとかそういった類のことではない。

ぽろっと一言「tigubaguさんは礼儀正しいから接していてすごく気持ちがいいです」と誉め言葉をいただいたり、「すごく一生懸命頑張ってるのが伝わるよ」と言ってもらえたりした、こういう類の評価である。

 

この事実は僕にとって大きな自信となった。

長い間、「俺様俺様!俺様が最強!弱いやつは徹底的に支配してやる!」的な人がいい思いをしていくんだと半ば本気で思っていた。(こういうタイプの人たちにいじめを受けていたということも大きい)

しかしよくよく考えればそんなことは決してなくて、こんなこと言う人に誰が力を貸したいと思うだろうか。誰が出資をしたいと思うだろうか。誰がそばにいたいと思うだろうか。

こうやって頭ではわかっていたことが、実際に他者から言葉にして伝えてもらえると、「自分の礼儀正しさ」は間違っていなかったんだなと自信につながった。

ビビりはダメなことじゃなかったんだ。

 

具体的に「礼儀正しく」ということで何をしているかというと、

・挨拶をしっかりと行う。(おはようございます、お疲れ様です、ありがとうございます、申し訳ございませんetc)

・1に謝る。2に謝る。3に謝る。

・「謝ること」に勝るとも劣らないくらい「感謝の気持ち」を発言する。

・会話中にうなずく。

・何かあれば逐一報告する。

 

ざっと思いつくのはこのくらい。

たくさんあって言語化しきらないです💦

 

※実際に「礼儀正しさ」の効果を説く書籍は何冊か出版されている。世の中的にも礼儀正しさの価値が見直されてきているのだろう。

一生懸命さが伝わる

「礼儀正しくしていること」でうれしかったのは「一生懸命さが伝わること」だ。

どれだけ上手にタスクをこなせなくても一生懸命さが伝われば、指摘はされても頭ごなしに怒られることは少ない。

(とはいえブラック企業なんかで「態度だけは一生懸命だが、てめーは一つも結果がでねえなあ!!」なんて言う人がいるのも事実。悲しきことです。。)

 

それに一生懸命さが伝わると相手の指摘方法も穏やかなものになり、穏やかに教えてもらうとこちらの理解する意欲もあがってくる。

一生懸命やっている人を嫌う人はいないんじゃないかなと僕は本気で信じている。

大きく得することはなくても、損することもない

「礼儀正しさ」ってのは大きな動きもなく、いうなれば地味だ。

それに1回や2回で終わるものはなく、継続していくことこそが効果を発揮する。

ゆえに礼儀正しくしていたからといって大きく得することはないかもしれない。

しかし大きく損すること、いや損することもない。

損することがない、というのがトータルとして得することになっていると思う。

 

礼儀正しく、1日1日、自分のやることを淡々とこなしていきます。

今日もよろしくお願いします。

 

ps1.

本日をもってわたくしtigubagu26歳となりました。

がっつりアラサーの領域に入りました(笑)

これからもなにとぞよろしくお願いします。

 

ps2.

更新日の不手際で「6月29日のブログ」が存在しないことになっていますが、きちんとブログは書いており、30日に2本更新されております。

きちんと毎日ブログ継続はしております。

 

 

 

 

体の不調を受け入れる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 原因不明の体の不調

ここ1月ほど頭の右側が痛い。

ズキンズキンした痛みではなく、慢性的に痛い感じだ。

サブタイトルには「原因不明の体の不調」とあるけれどもこれに関しては理由はわかっていて、就労支援でのパソコン使用、家でのパソコン使用と長時間によるパソコンの使用が原因だ。

 

昔(高校~大学1,2年のころ)は長時間の電子機器による疲労も1日眠れば治っていたが今はすこしずつそうはいかなくなってきている。

なかなか疲れが取れない。つまり体の不調と長い間一緒に過ごさなければいけないのだ。

不調を基調とする

「長引く不調との生活」を嫌い、不調をさけ、とにかく健康にならなければ!!と強い健康志向はどうやら僕には向いていない。

もちろん健康を志すようにはしている。しかし健康を志しすぎてそれがストレスになるのなら本末転倒もいいところだ。

 

だから僕はこの不調を半ば受け入れることにした。

基準を完全な健康で何でもする元気があり、モチベーションにあふれているときの自分に置くのではなく、「どんな自分であれ今の自分」を基準とするよう考えるようにしている。

世間には「老いを受け入れる」という言葉があるけれど、僕のこの考え方も「老いを受け入れる」に近いと思う。

そうすると焦り、不安がなくなることはなくとも、かなり消えていく。

一番つらいのは「不調を抱えてしまった現実」ではなくて、「そういった現実をいけないこと、ダメなこと、残念なことと捉えること」だ。

今ある現実がどんなものであれ、「つらいもの」と認識してしまうとジェットコースターのように気持ちはどんどんマイナスの方向に向かっていく。

これからもっと増えていく

明日の7月3日で僕は26歳になる。

これから加齢に伴い、30になり、40になれば、もっともっと体の不調は増えていくだろう。

そのときに抱えている不調嘆き、不調に振り回されることなく、落ち着いてどっしりと現実を受け止められる人で僕はありたい。

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。

7月

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

モチベーションってすごく天気に左右されているなと感じる今日この頃。

今日就労帰りに1駅分歩いて家に帰った。

そのとき歩いていたときの近くの公園でセミが鳴いていた。

もうセミの鳴く時期か。

今年ももう7月。明後日の7月3日には僕は26歳になる。

夏の、暑いけど天気のいい日ってのはモチベーション、気分が上がる。

 

さあ、7月です。

 

今日も、今月も、よろしくお願いします。

残るものは残る

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

僕は、苦手なこと、できないことがたくさんある。

ありすぎて困るくらいある。

やりたくないことも、途中でやめてしまったこともたくさんある。

 

だけれどそれでも「残るものは残る」

嫌なことはやらず、できないことはできないままで、そういう風に生きていても残るものは残る。

僕は7月3日に26歳になるけれど、これから歳をとればもっと必要のないもの、必要のなくなったものは削ぎ落されて自分に必要なものだけが残っているんだろうな。

行動も、考え方も、価値観も歳を重ねれば重ねるほど無駄なものがなくなっていく。

無駄なものがなくなるというのは「悩むための要素がなくなっていく」ということでもある。

だから歳をとるほど悩まなくなるんだろうな。

僕は歳をとるのが楽しみなんだ。

 

今日もよろしくお願いします。