「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「礼儀正しい」で失敗することはない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 

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 ビビりがゆえに礼儀正しくするしかなかった

僕は昔から大のビビり野郎だ。

怖いことは嫌だし、すぐに弱音を吐くし、ちょっと反論されるとすぐに泣きそうになる(これはマジ)

だから人に接するときは大事を起こさないように礼儀正しく、物腰低く接するしかなかった。

いばって接してしまって相手を怒らせてしまって怖い思いをするのが嫌だからだ。

 

こんなもんだから学生時代(特に中高)のころはいろんな人に馬鹿にされた。

言い返すこともしないし、きつい言葉も言わないから、相手からしたら暴言をぶちまけられるかっこうの的だったのだろう。

 

だけれども社会に出てから状況は変わった。

「礼儀正しい」ということが評価されるようになった。

「評価される」といってももちろん表彰されるとかそういった類のことではない。

ぽろっと一言「tigubaguさんは礼儀正しいから接していてすごく気持ちがいいです」と誉め言葉をいただいたり、「すごく一生懸命頑張ってるのが伝わるよ」と言ってもらえたりした、こういう類の評価である。

 

この事実は僕にとって大きな自信となった。

長い間、「俺様俺様!俺様が最強!弱いやつは徹底的に支配してやる!」的な人がいい思いをしていくんだと半ば本気で思っていた。(こういうタイプの人たちにいじめを受けていたということも大きい)

しかしよくよく考えればそんなことは決してなくて、こんなこと言う人に誰が力を貸したいと思うだろうか。誰が出資をしたいと思うだろうか。誰がそばにいたいと思うだろうか。

こうやって頭ではわかっていたことが、実際に他者から言葉にして伝えてもらえると、「自分の礼儀正しさ」は間違っていなかったんだなと自信につながった。

ビビりはダメなことじゃなかったんだ。

 

具体的に「礼儀正しく」ということで何をしているかというと、

・挨拶をしっかりと行う。(おはようございます、お疲れ様です、ありがとうございます、申し訳ございませんetc)

・1に謝る。2に謝る。3に謝る。

・「謝ること」に勝るとも劣らないくらい「感謝の気持ち」を発言する。

・会話中にうなずく。

・何かあれば逐一報告する。

 

ざっと思いつくのはこのくらい。

たくさんあって言語化しきらないです💦

 

※実際に「礼儀正しさ」の効果を説く書籍は何冊か出版されている。世の中的にも礼儀正しさの価値が見直されてきているのだろう。

一生懸命さが伝わる

「礼儀正しくしていること」でうれしかったのは「一生懸命さが伝わること」だ。

どれだけ上手にタスクをこなせなくても一生懸命さが伝われば、指摘はされても頭ごなしに怒られることは少ない。

(とはいえブラック企業なんかで「態度だけは一生懸命だが、てめーは一つも結果がでねえなあ!!」なんて言う人がいるのも事実。悲しきことです。。)

 

それに一生懸命さが伝わると相手の指摘方法も穏やかなものになり、穏やかに教えてもらうとこちらの理解する意欲もあがってくる。

一生懸命やっている人を嫌う人はいないんじゃないかなと僕は本気で信じている。

大きく得することはなくても、損することもない

「礼儀正しさ」ってのは大きな動きもなく、いうなれば地味だ。

それに1回や2回で終わるものはなく、継続していくことこそが効果を発揮する。

ゆえに礼儀正しくしていたからといって大きく得することはないかもしれない。

しかし大きく損すること、いや損することもない。

損することがない、というのがトータルとして得することになっていると思う。

 

礼儀正しく、1日1日、自分のやることを淡々とこなしていきます。

今日もよろしくお願いします。

 

ps1.

本日をもってわたくしtigubagu26歳となりました。

がっつりアラサーの領域に入りました(笑)

これからもなにとぞよろしくお願いします。

 

ps2.

更新日の不手際で「6月29日のブログ」が存在しないことになっていますが、きちんとブログは書いており、30日に2本更新されております。

きちんと毎日ブログ継続はしております。