「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

体の不調を受け入れる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

 原因不明の体の不調

ここ1月ほど頭の右側が痛い。

ズキンズキンした痛みではなく、慢性的に痛い感じだ。

サブタイトルには「原因不明の体の不調」とあるけれどもこれに関しては理由はわかっていて、就労支援でのパソコン使用、家でのパソコン使用と長時間によるパソコンの使用が原因だ。

 

昔(高校~大学1,2年のころ)は長時間の電子機器による疲労も1日眠れば治っていたが今はすこしずつそうはいかなくなってきている。

なかなか疲れが取れない。つまり体の不調と長い間一緒に過ごさなければいけないのだ。

不調を基調とする

「長引く不調との生活」を嫌い、不調をさけ、とにかく健康にならなければ!!と強い健康志向はどうやら僕には向いていない。

もちろん健康を志すようにはしている。しかし健康を志しすぎてそれがストレスになるのなら本末転倒もいいところだ。

 

だから僕はこの不調を半ば受け入れることにした。

基準を完全な健康で何でもする元気があり、モチベーションにあふれているときの自分に置くのではなく、「どんな自分であれ今の自分」を基準とするよう考えるようにしている。

世間には「老いを受け入れる」という言葉があるけれど、僕のこの考え方も「老いを受け入れる」に近いと思う。

そうすると焦り、不安がなくなることはなくとも、かなり消えていく。

一番つらいのは「不調を抱えてしまった現実」ではなくて、「そういった現実をいけないこと、ダメなこと、残念なことと捉えること」だ。

今ある現実がどんなものであれ、「つらいもの」と認識してしまうとジェットコースターのように気持ちはどんどんマイナスの方向に向かっていく。

これからもっと増えていく

明日の7月3日で僕は26歳になる。

これから加齢に伴い、30になり、40になれば、もっともっと体の不調は増えていくだろう。

そのときに抱えている不調嘆き、不調に振り回されることなく、落ち着いてどっしりと現実を受け止められる人で僕はありたい。

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。