「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「覚悟をして」マイノリティを生きる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

https://twitter.com/tigubagu0123

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僕は発達障害を持っています。

診断名としては、ADHD注意欠陥・多動性障害)とASD自閉スペクトラム症アスペルガー症候群)というものです。

 

https://www.teensmoon.com/pdd/data/

こちらの記事に発達障害に関する人口の割合が載っています。

調査方法や母数となる数字によって値は変わってきますが全体的に見れば発達障害はマイノリティと言ってもいいと思います。

 

改めて、世の中にはマイノリティの立場にある人がいます。

マイノリティというのは、「少数派」という意味です。

僕の場合は発達障害ということで社会的なマイノリティという立場にありますが、ほかにも社会的にマイノリティとされている立場としては、LGBT自死遺族、ハンセン病HIVなど多岐にわたります。

 

僕は発達障害という自分を本当の意味で受け入れるにはかなりの時間がかかりました。

一番最初に僕が発達障害かもしれないと診断を受けたのは高校2年の不登校の時でした。

診断を受けた、とはいっても母親に無理やり病院に連れてかれて受けた診断なので僕自身診断結果なんて当時は全く無視していました。

(ちなみに当時はアスペルガー症候群と診断を受けました。)

時はたち、大学も卒業し、社会に出て働き始めてすぐに僕は自分と周りの人との違和感を強烈に感じました。

そこで改めて自分のことをきちんと知ろうということで当時住んでいた街のメンタルクリニックに行き診療を受けました。

この時はきちんと自分の意思で行ったので診療(検査)の結果に対してはひとまずは受け入れることができました。

とはいえ、自分の特性に名前がついたとはいえでもそれを「知識として持っていること」「実際にその知識を活かしてライフプランを設計していくこと」には大きな差があります。

 

僕はなかなか自分が発達障害とは受け入れられませんでした。

いや、正確に言うなら知識としてはわかっているけれど、俺は定型さんと同じ生活でも大丈夫なんだ!と信じて疑いませんでした。

これは今振り返ってみれば、自分がマイノリティ側になることの恐れから来ていたのだと思います。

しかしそうはいっても僕の特性は発達障害なのですから定型さんと同じ生活なんてできるはずがありません。

すぐにひずみはやってきました。

すぐに疲れる、夜は眠れない、集中力が続かない、1度に1つのことしかできない・・・

 

僕がマイノリティ、発達障害を受け入れることをできたのは何も特別なことはないです。

「覚悟した」だけです。

いくら現実から目を背けたいと願っても現実は変わりません。

その現実をまずは覚悟して受け入れるしかないのです。

全てはそこから始まります。

マイノリティを生きる人々がすべて覚悟すればことはすむ、なんてもちろんそんなことは言いません。

人それぞれにおいて状況が違いますからこの人個々人が最終的には判断することです。

それを踏まえたうえで僕がこのブログで言いたいのは、「覚悟するとまた違った見方ができる」ということです。

ずっと自分のマイノリティ性と悩み続けるというのもそれはそれで立派なことです。覚悟して割り切れることばかりではないですからね。

しかし覚悟をすると、そこからまた新しい視点が得られるのも事実です。

現に僕は自分の発達障害をひきうけこれからの人生をどう生きるかを常に考えています。

引き受けて覚悟することで、具体的にどうすればいいのかが見えてきました。

現在は就労支援に通いつつプログラミングのスキル、資格を所得し仕事に活かしたいなと考えています。

 

まとめると、、

僕がマイノリティを生きる上で行ったのは、覚悟をすることでした。

マイノリティを引き受けることでした。

そこからこれからどうやって生きていくかをずっと考え続けている毎日です。

 

 

今日のブログは以上です。

今回のテーマはまだまだ書きたいことがあるのでまた何回かにわけて書いていこうと思います。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^