「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

僕の発達障害を語る part1~発達障害診断までの道のり~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

https://twitter.com/tigubagu0123

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このブログでも何度も、自分が発達障害であることは書いてきましたが、がっつり「発達障害」という枠で記事を書くのは今回が初めてだと思います。

 

僕は高校の途中で学校に行かなくなり、最初は親に心配されて街の心療内科に連れて生かされ、検査を受けさせられて、その時に始めて自分が発達障害であるとわかりました。

しかしまだこの時は親との仲もとにかく悪く、検査結果も親だけが聞きにいきました。そこで親の口からあ「あなたはアスペルガー症候群である」と伝えられました。

とはいえ、親の言うことなんかに聞く耳を持たなかった僕はほぼほぼそんな検査結果なんて無視していました。

 

そして大学から一人暮らしとなり(高校は不登校でしたが、大学は行きました)、

大学は特に自分が発達障害ということを気にせずに乗り切ることができました。

(ほんとうに周りの方々のサポートのおかげです!)

 

僕が、自分で、自分の特性をきちんと知ろうと思ったのは大学を卒業して就職をしてからです。

新卒で入った会社は地方の小さな営業の会社でした。

結果から言うとその会社、1週間でやめるんですが、とにかくつらかった!

具体的に言うと、、

  • 長い拘束時間
  • なぜそれをしなければいけないのかわからない会社のルール
  • 会議についていけない
  • 狭い部屋での食べ物のにおいが地獄
  • スーツがとにかくきつい
  • コミュニケーションをとれない などなど

とにかく地獄の毎日でした。

努力でどうにかできるとはとても僕は思えませんでした。

そこで僕は高校の時の発達障害の診断がついたことを思い出し、もう一度0から自分自身で診断を受ける決意をしました。

 

とはいえ、いろいろと自分でするには大変でした。

そもそも情報がないのでなにをどう取り掛かっていけばいいかがわかりません。

と、いうことで大学時代にお世話になった支援センターの人にいろいろと情報を聞いたり、ネットで地道に調べたり、書店でその手の本を買ったりしていました。

そして、ありがたいことに当時住んでいた街の発達障害支援センターにつないでもらい、そこから心療内科メンタルクリニック)へとつなげてもらいました。

ここらへんの具体的なステップをどう踏んでいったかなどもいずれ記事にしたいと思います^^

 

そして僕の診断として付いたのは、

大きく主要なのが、ADHDASDなるものでした。

このASDっていうのが昔で言うところのアスペルガー症候群自閉症スペクトラム障害)ってな感じで、もうひとつのADHD注意欠陥多動性障害、といわれるものです。 

ほかにもLD(学習障害)、強迫神経症躁うつ病

と診断されましたが、大きいのは↑の2つです。

 

診断がついてから僕はその後も定期検査のため何回かクリニックに通い、「障害者手帳所得」に向けて歩き出しました。

歩き出しました、とはいっても大方のことは支援センターの方々がやってくれたので僕のすることはクリニックに通う程度で済みました。

(本当にこれを全部一人でやると大変なので支援機関を頼ることをまじでおすすめします💦 手帳に関しての動画をYouTubeに挙げていますので是非ご覧ください^^)


発達障害者当事者で手帳現役保持者が精神障害者保健福祉手帳についていろいろ解説してみた!


発達障害者当事者で手帳現役保持者が精神障害者保健福祉手帳についていろいろ解説してみた! 第2回

 

 

手帳を所得した後は、手帳を利用して、

就労支援に通えたり、

交通費が半額になったり、

もしものときの支援が受けやすくなったりと、

いろいろメリットはありますが、何よりも一番は、

「自分がこういう人間です」

ということを一目で他者に開示できるのがすごくいいメリットだなと感じています。

手帳もいうなれば、自他ともに自分のことを知るための一つのツールだと僕は考えています。

 

次回part2では実際発達障害ゆえに日常生活で困っていることを細かく書いていきます。

 

今日も皆様の一日が良き日でありますように!

ではまた!^^

 

記事内画像元:studiographicさんによる写真ACからの写真