「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

病名がついて、診断名がついて、「はいおわり」ではない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 自分で考え、試行錯誤することをやめてはいけない

僕が周りとうまくやっていくことができず、自分の生きづらさの解明のために、自分と向き合おうと思い、心療内科を訪れ発達障害の診断を受けたのは今から2年前です。

ずっと僕は生きづらさを抱えて生きてきました。

もちろん今も抱えています。

 

2年前の当時、診断名としてADHDASDの診断がつきました。

他にも2次障害として躁うつ病強迫神経症がつきました。

まず診断がついた直後に感じたのは、「安心」でした。

ああ、この生きづらさにも原因があったんだ、という意味での安心ですね。

 

しかし、当然ですが診断名がつきました、安心しました、で生きづらさがなくなるわけではありません。

診断がつくというのは結局自分がどういった人間であるかを知るための一つの指針でしかないわけです。

言うなれば人生のライフプランを立てるときに、例えば僕の場合なら「ADHDがあるけん、これをすることは向いていないな」くらいの役割でしかないわけです。

 

他にも診断名がつくことの効用を挙げるとするならば、希死念慮や、不安が襲ってきたときに、○○の特性がある人は夜中に不安を感じやすい、だからこれは無視すればいい、といった風にも利用できます。

 

もう一度書きますがとにかく診断名がつくことは、自分がどういった人間であるかを知るための一つの指針でしかないわけです。

<自分>、もっというと<わたし>という存在はきわめて不確かでわからないもの(”もの”であるかどうかすらもわかりませんが)です。

だからこそ哲学や宗教をはじめ様々な知識人や思想家、学者が「<わたし>とはなにか?」という問いをずっと問い続けてきたわけです。

そしてこの問いには今も昔もずっとこれだ!という万人に共通する答えはでてこないでしょう。いや、そもそもこの世のどんなことも問い続けたら答えなんてないんです。

あるのは、各人が各人なりの暫定的な答えをもつ、くらいにしかなりえないのです。

 

そういう意味でも、発達障害の診断名がつくというのは不確かな<わたし>をなんとかして知るための、暫定的なフレーム(枠組み)であり、知識の役割を果たしてくれます。

しかし大切なことはその診断名が<わたし>のすべてではないこと。

当然のことですが、同じADHDの人でもその個性や抱える生きづらさは全く違います。(もちろん発達あるあるのように被るぶぶんもありますが。)

診断名も<わたし>を知るための手がかりの一つとして、ずっと考え続ける必要があると僕は思います。

 

「生きづらさを考える」というのは、視点を変えると「<わたし>のことを知ろうと努める」ことです。

こういう性格、こういう人間、こんなことされるといや、こういうことしてるときに幸せを感じるなどなど、<わたし>を知れば知るほど、その知識を生きづらさへの対処に応用することができます。

 

考えることをやめてはいけない。

そして、この場合の「考える」というのは机に向かって頭をうんうんうならせることではなく、「アンテナを張って生きる」という風な意味でとらえていただければなと思います。

何か<わたし>のことに関してわからないことがあった時に、それをわからないこととしてまずはしっかりと認識すること。

「わからないことをわからない」、割り切れるのは一つの強さです。

そしてあとは体を動かし、毎日の生活を生きることです。

 

僕はついつい頭でっかちな思考になってしまいます。

元がひきこもり気質だからでしょうか。

そんなときは、頭の中の「気にしないBOX」または「どうでもいいBOX」に考え事をぶち込んで、日々の生活を過ごします。

そして生活を送るうちにはたと、あ!これはこういうことか!と気づくことがある。そんな感じですね。

 

まとめましょう。

診断名、病名は<わたし>を知るための一つの手がかり。

そのうえで<わたし>という存在を知る行為をやめてはいけない。

<わたし>を知ることが、生きやすさ、幸せにつながる。

 

かなり抽象的な内容なので自分でも書きながら、あやふやなところが多かったですが、なにかしら少しでもつたわってくれれば幸いです。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように!

ではまた!