「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

元ひきこもりが語る『社会とはこんなところ!』

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 社会という場所

僕は高校2年からの2年間ひきこもり生活を送っていました。

イメージ的に書くなら、部屋にがっつりひきこもる閉じこもりのタイプではなかったけど社会とは接点をもたなかったといった感じでしょうか。

大学進学を機にとりあえずはひきこもり脱出?したのですが、大学在学中もかなりの間家で一人で過ごしていました。

授業に出れなかった日もしょっちゅうありました。

 

こんな元ひきこもりの僕がみた社会のイメージを今回はブログにしようと思います。

とはいえ、そもそも社会とはなんじゃらほいな?と考え始めますとそれこどキリがない難問になりますのでぼんやりと皆さんが描いている「社会」にそって読み進めていただければなと思います。

 

①結果!!結果!!結果ああああああああ!!

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圧倒的に感じたのは、「社会という場所はとにかく結果を出すことがすべてであるところ」ということです。

学生のころ、ひきこもったころは、結果ではなく過程をほめてくれる環境ではありました。

家族とは今でもさして仲良くはありませんが、やはり家族という存在は「過程」をほめてくれる場所でもありました。

さらに大学の時お世話になったカウンセリングの方々や、サポートセンターの方々、よく相談事に乗ってくれた先生などは、今すごく君ががんばっているのは知っていると皆言ってくださいました。

 

しかし当然ですが社会はそうではありません。

どれだけ僕ががんばろうが、努力しようが、結果が出ていなければ人は見向きもしません。

もちろん心優しい人は声もかけてくれますが、それも1瞬です。本当に1瞬です。

逆に言うと、結果さえ出ていれば努力の有無は問われない、ということです。

よくすごい結果を出したスポーツ選手なんかでも今まで頑張ってきたからこの結果であったんです、という風に語られますがあれは逆です。

結果として先にあるから、あとで努力のほうが語られるのです。

結果を出していなければそもそも努力が語られることもありません。

 

僕はずっとコントをするのが好きでしたから、大学生のころから人前でよく披露していました。

飲み会の場、ちょっとした集まり、盛り上げ役としてなどなどいろいろな場でコントを披露しました。

しかしもちろんぽっとでの素人に笑いなど取れるはずもなくことごとく滑り倒しました。

コントや、漫才というのはこれこそ本当に結果がすべてだなと思います。

ウケれば面白いと言ってくれる。滑ったらそのあと誰も話しかけてくれない。

がんばってネタ作りしようが、練習をしようが、そんなのは関係ないということです。

 

今僕が社会人の方々と交流するときに、

自分がかつて出演させていただいたテレビ番組の話なんかをすると、すごいね!と人は話を聴いてくれます。

一人で世界を旅した話なんかも聞いてくれます。

何かしらで結果を出しておかないと、もっというと行動してとりあえずの成功なり、失敗なりの経験をしないと本当に人は話すら聞いてくれないのだなと、肝に銘じています。

 

まずは行動からです。

 

②自分から声をあげなければ誰も振り向いてくれない

僕は人見知りです。

ゆえにずっと自分から人に話しかけることができませんでした。

しかしそれでは社会ではいつまでたっても誰とも人間関係を結べません。

ネットの上ではコミュニケーションを取れます、じゃダメなんです。

きちんと面と向かい、FTF(Face to Face)でコミュニケーションを取ること。これが大事なんです。

 

それゆえにぐだぐだ言わず自分から話しかけに行く必要があります。

もちろん失敗すること、痛い思いをすることもあります。

しかしそれが人間関係です。

「ひきこもり気質でさ~、なかなか人に話しかけきらんとよ~」とかなんとかいって言い訳してたらまじで誰にも話しかけてもらえませんでした。

 

助けてもらいたいときもそうです。

「助けてください」と断られる可能性が大でも声をあげることからはじめないと手を差し伸べてはくれません。

実際僕がそうでしたから。

ただだからこそ社会にはやはり一定数つらい気持ちを抱えている人の声をしっかりと聴いてくれる場所は必須だと思います。

 

このような意味で、挨拶は僕にとってはまじで神のようなツールです。

どれだけ話すことがなくても挨拶をすることによりとりあえずの会話のワンパンチ目を打つことができる。

挨拶、利用しない手はありません^^

 

それと男女間の関係においても、基本男は厳しいなと感じてます。

これこそ自分から話しかけに行かないと言葉通り誰からも相手にされないです。

しかし、じゃあがつがつ行き過ぎるとひかれるし、となるのがつらいところ。

これも結局はバッターボックス理論で何度も失敗して経験してバランス感覚を磨いていくしかないのかなと思ってます。ほんと難しいですが。

 

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(逆に言うと、すごいにこやかに向こうからいきなり話しかけてきたらまず裏があると思って僕は間違いないと思っています。)

 

③ステータスを見て、自分を見てもらえない

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初対面の人に会った時に少し雑談をした後必ず聞かれるのが

「お仕事なにされてるんですか?」という質問。

日本社会特有かどうかは詳しいことは知りませんが、とにもかくにも社会においてはその人のステータスを見られます。

何の仕事か、どこの会社か、結婚はしているのか、恋人はいるのか、年収はいくらか、実家くらしか、学歴はどうか、、、、などなど

僕個人的には心の底から「くだらない」と思いますが、今現在このステータスを軸に社会での人間関係が成り立っているの事実なので受け入れざるを得ません。

 

とはいえ、僕はやはり「その人がどんな人であるか」っていうことに注目してほしいなとはずっと思い続けています。

何を考え、どんな信念を持ち、何を信じ、どうやって生き、自分は何をしているときに幸せを感じるのか、、、、

こういったことに注目できるような人間関係は素敵ですよね。

 

ただ、こうやって自分のことを深く知るってのは一筋縄でいくことじゃないんです。

自分で考え、本を読み、ああでもないこうでもないとたくさんの経験をしつつ徐々にわかってくることだと思うんですね。

これらに比べ、上に挙げたステータスは即効性があるし、なによりわかりやすい

人というのはわかりにくいものを嫌いますからわかりやすく判別できるものを物差しに使うというのももちろんわかります。

しかし、それでも、時には自分を省みて自分のことを知り、そのうえで、相手もステータスではない視点で見ることを多くの人が実践してくれれば、今よりずっと生きやすい社会になると信じてやみません。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

元ひきこもりのつたない言葉で、社会に対する思いを3つ書きました。

社会は本当に一言でいうなら「カオス」です。

わからないことだらけ。

だからこそわからないものに気長に接していける精神を養って、優しく接していきたいものです。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように!^^

ではまた!^^