生きづらさの理由~茶番を乗り切れ!~
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
この世は茶番の集合体
ここでいう茶番とは、「やらなくて済めばそれに越したことはないが、なぜかやる必要があるとされているもの」のことを指しています。
僕の生きづらさの一つに社会の慣習や習わしに「なんでこんなくだらねえことしなきゃいけねえんだよ」とうがった気持ちが混じっているから、という大きな理由があります。
例えば、、
- 会社の飲み会でなんで上司にお酌しなきゃなんねえんだよ。
- なんで上座下座なんてわけるんだよ。どこに座ってもいいだろうが。
- なんでスーツなんか着なきゃいけねえんだよ。私服でもなんでもいいだろ。
- 1歳年上なくらいでこの人はそんなに偉いのか?
- 就職活動の面接で、思ってもみないことを良くみんなペラペラ言えるよな・・・
などなどですね。
これはほんの一部であり、言語化しだしたら数え切れないほどあります。
そりゃあ生きづらいですよね。
しかしそう感じてしまうのだから仕方がない。
僕は思うにこの世の中、いやこの日本社会は、茶番の集合体で成り立っていると思っています。
どんな会社、どんな共同体、どんなグループに属そうとも、そのグループでのルールやしきたりがあります。
そしてそのルールやしきたりに従う素振りを見せなければ、そのグループから排除されてしまいます。
特に僕のような発達障害を抱えている人に多いのですが、発達さんは「なぜこんなことしなければいけないの?」と思う人が定型さんに比べてずっと多いみたいです。
会社にクローズで入社をすると、その会社の慣習がなぜそうなのかと疑問でわからず、素直に従えない、僕が完全にそのタイプでした。
この世は茶番の集合体であるとしても、ことさらその茶番が大きく自分の身に降りかかってくるのはやっぱり会社勤めをしたときや、仕事でなにかしらのグループを組んだ時なんかですね。
本に書いていた ~全ての会社は「部族」である~
最近、借金玉さんというADHD当事者の方が書いた、『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』という本を読みました。
その中の章のタイトルに「すべての会社は「部族」である」というものがありました。
以下引用です。
職場というのは、言うなれば一つの部族です。このことをまずしっかりと理解してください。
そこは外部と隔絶された独自のカルチャーがはぐくまれる場所です。
そしてそこで働く人の多くはそのカルチャーにもはや疑いを持っていません。
あるいは疑いを持つこと自体がタブーとされていることすらあります。
それはもう正しいとか間違っているみたいな概念を超えて、ひとつの「トライブ(部族)」の在り方そのものなんです。
言うまでもありませんが、それは排他的な力を持ちます。
部族の掟に従わない者は仲間ではない、そのような力が働きます。
僕の生きづらさの原因の一つを端的に表しているなと思いました。
どこへいってもなんでそれをしなければいけないのですか?と疑問を持ってしまう。
疑問を持つよりも前に、まずはその部族に習慣に従うことが必要なんです。
いい、悪いではなく、現実がそうなっているんだから仕方がない。
僕なりの部族の習慣に従えたやり方~すべてをコントだと思う~
今も少しだけなら嫌でもその部族の習慣に従えることはできます。
ほんと短い時間ですが。
その方法として僕がとっていたのは「壮大なコントを演じている」と思うこと。
例えば、コント「飲み会での下っ端会社員」みたいに心でつぶやき、その会社の慣習という名の台本に従ってネタを披露する、そんな感じですね。
僕はコントトリオの東京03さんが大好きなのでこの戦法はほんの少しですが僕に会社のしきたりに従わせるようにしてくれました。
しかし、とはいえ、根は変わらないので、基本的には従えないところはもう無理だとあきらめています。
今現在大分での居場所づくりの活動は僕が無理せずそのままでいられる習わしで動いているので苦はありません。
茶番とはわかっていても、それを乗り切れるか、乗り切れないかの間には大きな壁があります。
今日のブログはここまでです。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!^^