「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

親しき中にも期待なし

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 ついつい期待してしまう

僕は、昔から人に理解されないことが本当に多かったです。

「理解されない」というよりは、他者に過度の理解を求めすぎてしまう、といったほうが正確な感じがします。

というのも、幼少期に自分の考えや、疑問を他人に聞くとそれを真っ向から否定され自分はほかの人とは違って頭がおかしいんだ!と思い悩んだことがありました。

そのときから僕は今でもずっと「わかりあえなさゆえの孤独」をずっと抱いています。

 

もちろん今となっては、この孤独ってのは人生を生きる上では避けることのできない孤独なんだなと、少しずつ少しずつ身に染みて受け止めることができるようのはなってきました。

しかしそれでも、求めてしまうのが僕の弱さなのでしょう。

親しくなった友人や、心を許せる人に出会ったときなんかはチャンスを見計らいまるでダムが決壊したかのように自分のわかってもらえなさ、不安に感じていることをばーっとまくしたてるように矢継ぎ早に話してしまいます

こうなると当然相手は面食らってしまいます。今これを書いている冷静な状態だと、「そりゃ面食らうよな~」ってのもわかるんですが、実際の現場だとそんなことはどこへやらの状態で話し続けてしまいます。

 

そんなとき僕の親友の一人が、僕にこんなことを言ってくれました。

「親友として俺になんでも話してくれる。理解を求めようとしてくれるその姿勢はとてもうれしい。でもな、俺だって一人の人間。tigubaguとは別の、一人の人間。理解したくても理解できないことは当然ある。理解してもらうことを期待してしまうとどちらもつらくなる。親しき中にも礼儀あり、じゃないけど親しき中にも期待なしやで。

 

親しき中にも期待なし。

すごくいい言葉だと思います。

僕がつらくなってしまうのはとにもかくにも相手に理解してもらいたいと期待をしてしまうから。

それをスパッと思いとどまらせるかのような、「親しき中にも期待なし」

 

今も僕はついつい親しくなった人に理解を求めてしまい、自分で自分の首をしめることがしょっちゅうあります。

そんなときは心の中で「親しき中にも期待なし」とつぶやいて理解を求める欲を抑えるようにしています。

 

皆さんもぜひ親しい人に無理な理解を求めているなと感じたらそっと「親しき中にも期待なし」とつぶやいてみてください^^

きっといい効果があると思います。^^

 

今日も皆様の一日が良き日でありますように^^

ではまた!

 

 

記事内画像元:toraemonさんによる写真ACからの写真