「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

人との比較で俺は自分を自分で殺している

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 比較

人と比較することにいいことなんかない。

最も自分で自分を殺す方法の一つ「比較」。

他にも自分で自分を殺す方法としては自己嫌悪とか、完璧主義とかいろいろあるけれど、これらも根は「比較」にあると思う。

 

比較は今の自分を全否定してしまう。

今の自分ではだめで、より人に見せられる人へと変化しなければいけないことを強制してくる。

今の自分を否定するわけだから、そりゃつらいに決まっている。

比較の対象は様々

ブログタイトルには「人との比較」と書いたけれど、比較の対象はいろいろとある。

「正しさとの比較」、「普通との比較」、「(特定の個人ではなくぼんやりとした)みんなとの比較」、「できている人との比較」、「(何かしらの)概念との比較」などなど。

別に比較対象は人でなくともよいわけだ。

 

2億回くらいこのブログには書いているが、僕は「正しさとの比較」がどうにもやめきれない。

正しさが何か、なんてわかってもないくせにぼんやりとした正しさの虚像といつもいつも戦っている。

そしてその比較はけっして終わることがない。それゆえに僕はいつもへとへとだ。

 

このまま比較を続けていると僕は自分で自分を殺し続けることになる。

もういいかげんやめようじゃないか。

わかっている。比較をやめる一番の方法は「今の、まさに今の、ありのままの自分をよしとすること」だ。

これには勇気がいる。とても大きな勇気がいる。

今の自分の存在に対し、不安になるからこそ比較をして、他者や概念に自分をうつし、自分とは何者かを知ろうとする。

でもそれはつらい。

だからこそ今、今のこの自分を、ほかの誰でもない自分で、よしと言ってやる。

これこそが僕は本当の勇気なんじゃないかと思う。

 

今日もよろしく。