上には上がいるから比べだしたらキリがない
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguです!!
サンフランシスコの天才たち
プログラミングをやってるとGoogleで働いている人って本当にすごいんだなってことがよりわかってくる。
Googleについての書籍や映画はそれこそたくさんあるから、そのすごさは別にプログラミングをやってるやってない関係なく知ることはできるけれど、やっぱりプログラミングをやってるものとしてプログラミング界のトップは意識してしまう。
本当に天才たちがそろっている。そろっているんだろう。
僕程度の頭では彼ら、彼女らの天才度を推し量れないから推測の形になるくらい天才たちだ。
なぜ運万行もするソースコードの形をものの数分で把握できるんだ、未来が視えているのか!?(視えているんでしょう)
僕は性格もあってか自分の知っている狭い世界の中で、数少ない人たちと自分を比較しているけれど、マジ物のガチ物の天才とは当然だけれど比較するきすら起こらない。
比較をしてしまうという時点で自分が狭い世界の中で奮闘していることを示しているのかもしれない。
世界はとんでもなく広い。
自分の想像力なんてとても及ばないくらいすごい人たちがどんな分野にもたくさんいる。
その人たち全員と自分を比較なんてとてもじゃないけど僕にはできない。
上には上がいる。比べだしたらキリがない。
「自分は自分」1億回はきいたこの言葉
かといって、「自分は自分だ!俺はこのままでいいんだ!」と自分に言い聞かせるのもとても難しい。
人間は成長したい生き物だ。刺激を求める生き物だ。
自分は自分、このままでいい、と停滞するわけにはいかない。
だから自分は自分だけれど、今の自分とは違う自分に自分のペースで日々前進していける、ってのが理想かもしれない。
もちろん「今の自分で満ち足りている。」と心の底から思えたらそれが一番な気もするけどね。
「比較」を前に進むためのエンジンにできればいいな
比較をすると多くの人が自己否定に走ってしまうから、とかく「比べるな」と言われるけれど、比較をすることにより悔しかったり、負けるかと思いモチベーションアップにもつながることもある。
だから比較することを自分の成長のために利用することができれば一番いいのかもしれませんね。
それでも天才たちとは比較したくないけどね。
それと今の日本の競争社会の中で真に「比べるな」というのは無理でしょう。
生まれた時から比べ倒され続けてきて、急に「比べるな」は体が付いていかないよ。
「比べるな」と言っているあなたも今その時点でたくさんの人といろんなことを比較していると思う。
「比べる」ことの上に成り立っているのが今の社会であるなら、その中で比べることからは逃げられない。
逃げられないけれど、いい付き合いを模索することはできると思う。というかできなきゃ困る。
俺が人と比較しない時っていつかなあ・・・
今日もよろしくお願いします。