「自信」について
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
いつも不安でいっぱいのtigubaguが思う自信のある人とはどんな人なのかを考えてみました。
「自信」に関しては以下の記事にも書いていますのでもしよろしければ読んでいただければ幸いです。
自信がある=余計なことは考えない
皆の前で堂々としている人、
意見をはっきり述べる人、
否定批判されても動じない人、
などなどこういったタイプの人を世間では「自信のある人」と言います。
しかし実際このようなタイプの人たちがいつも心に自信のパワーなるものが満ち溢れているのでしょうか?
「自信のパワー」とはまたなんとも漠然としたものですが、言い換えるなら心はいつも明るく、元気いっぱいなんでしょうか?ということです。
僕はそんなことないと思うんですよ。
いつも元気で、フルスロットルって実際それはそれでかなり疲れるんですよね。
じゃあなんで常に自信がある人はその自信を維持できている(風に見える)のか?
僕はそれは、「自信がある=余計なことは考えていない」ことだからだと思っています。
人は新しく何かを始めるときや、
知らない土地に行くとき、
とにかく何か自分にとって未知なる領域に足を踏み込むとき大きな不安を感じます。
不安を感じるのは誰でもそうですがその不安を自信があるひとはすぐに考えないようにすることができるんです。
もっというと不安を感じて「どうしようどうしよう」と悩むのではなく、「実際今この不安を消すために何ができるか?」を一生懸命考え即行動に移します。
もちろん考えてもわからないこと、ぬぐえない不安もたくさんあります。
そういう不安こそ思考停止でもう気にしないようにするのです。
なぜなら気にしたって時間の無駄だから。
不安で悩んでいる人は悩むことが好き?
お坊さんの南直哉さんの『語る禅僧』という本の中に次のような1節があります。
そこでよくわが身を反省してみると、考えることをやめられないというのは、要するに考えることが好きなのだ、ということがわかる。
やめるにやめられないのである。
これも考えて楽しいうちはいいだろうが、病膏肓に入るという段階になると、考え疲れて本当に病気になったり、場合によっては死んでしまう人もいる。
適当なところでやめられないというなら、これは煩悩であろう。
だからわが宗祖はあっさり言う。そんなことは忘れてしまえと。
考えすぎる、悩みすぎる僕には耳の痛いお話です。
悩むことが癖になり、ある種一つの快楽になっている気がしなくもないです。
悩み自分に刺激を与え続けることで退屈な毎日を(悪い意味で)ドラマチックにすることができます。
他にも考え悩む、ということを自分のアイデンティティにして、自分は考える人間たい!悩める人間たい!ほかのふらふらしとう人とは違うったい! という感じに、考えることをやめてしまうと自分のよりどころがなくなってしまう感覚です。
だから南さんの本にもある通り「そんなこと忘れてしまう」のが一番なんです。
しかし実際忘れるなんてことはできません。(覚えることより、忘れることの方がずっと難しいです)
だから意図的にその不安にかかわらないようにしていくしかありません。
僕は人生とは「大きな修行」と考えているのですが、そういえる大きな要因の一つがこの「不安からどのようにして目をそらすかが問われているから」だと思っています。
このブログでもいろいろと「気にしないこと」について書いています。
(最後にリンクを載せておくのでよければ読んでみてください)
人それぞれ気晴らしの方法は違うと思います。
どれだけ不安から目を背け、やることに取り組めるか、それこそが人生の大変さの一つだと思っています。
まとめると、
「自信がある」状態になるためには、
まずは考えなくてもいいことを考えないようにし、考えるのであればどうしよう?ではなくあどうすれば解決できるか?を考えていく。
これを続けることが自信がある状態になれる方法かなと思っています。
今日のブログは以上です^^
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!