「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

焦ったところで事態は変わらない

おはようございます!

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 僕は超絶焦り男

僕は超絶焦り男だ。いや、正確に言うと過去が最も最高の焦り男で現在はそのころと比べると落ち着いている。

過去の僕の焦り度をもし可視化でき、数値化できるのなら、ランキング上位には余裕で入り込むことができる自信がある。

そのくらい「常に何かに」焦っていた。

具体的な年月で言うと、ひきこもり状態からとりあえずは抜け出し、少しずつ人と関わり始めて大学の4年間がそうである。

 

意味もなく焦る

じゃあ具体的に何に焦っていたのかと聞かれると、それがはっきりとは思い出せない。

もちろんいついつまでにレポートを仕上げなければいけないとか、寝坊した朝とかそういう焦りはあるけれど、そんなんじゃなく何かこう、「得体のしれない何か」に対しておびえ焦っていた。

 

言語化するなら、

  • 自分はこのままでいいのか
  • 何もしない日なんて非生産的でだめだ
  • みんなはもっとがんばっている
  • なにかをしなくちゃいけない
  • あまえるな

こんな感じであろうか。

どれも抽象的でふわふわとしたものにおびえ、逃げるがごとく焦っていた気がする。

結局今思ってみたら、いつものごとくただただ「不安」だったんだろうな。

 

人から間違いを指摘されることが、人から自分の不完全さを指摘されることが、自分の考えを他人に受け入れてもらえないことが、自分の思い通りに人生を進むことが、とにかく不安で仕方なかった。

 

だから焦った。

その根底にはそんな今の自分を変えたくて、今の自分から逃げるために、早くより早く逃げりために焦った。

焦ったところで事態は変わらない

でも、当たり前だけど焦ったところで事態は何も変わらない。

本当に何も変わらない。

焦ったところで不安がなくなるわけでも、自信がつくわけでもない。

ただ体力と気力だけがなくなっていく日々だった。

 

ゆっくり行ったほうが楽だし、体にもいい

じゃあ今の僕は焦っていないのか、と言われると全くそんなことなくて今も十分焦るときはある。

不安に押しつぶされそうになる時なんてしょっちゅうだ。

ただ、昔と比べゆっくり落ち着いて自分のその焦りと向き合うことができるようにはなってきたかなと思っている。

確かにゆっくりしたところで不安が消えるわけでもないが、焦って不安と向き合うのと、ゆっくり落ち着いて不安と向き合うのとでは、絶対に後者のほうが心身ともに楽なんだ。

 

それにゆっくり落ち着いて、不安に触れずやることをたんたんとこなしていたら、気が付きゃ不安は気にならなくなっている。

 

焦らず、ゆっくり、これからも生きていきたい。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた焦ったところで事態は変わらない