tigubaguの自己紹介 僕がどういう人間か part2 高校入学~不登校・ひきこもり編
こんにちは^^
tigubagu(@tigubagu0123)です。
開けましたね!GW^^
今日からまた「普通の毎日」が始まるわけですが、
僕はこういう普通の日は、1日の中にちょっとした楽しみ、喜びを見つけます^^
ちかくにおいしく安いパン屋さんがあるんですがそこのパンを食べよう、を楽しみにします^^
さてさて今回は前回の自己紹介の続き
高校入学~不登校・ひきこもり編
では、どうぞ!
①高校入学
中学の時点ですでに学校関係とは手を切りたかった俺であったが
ほんと今思えばなぜかわからないけれど、高校に進学した。
(なぜかわからないけれど、なんていうが本音は一つ。 周りに流されただけだ。 みんなの列から離れるのが怖かった。それだけだ。)
高校に入ってもpart1でかいた哲学観は大健在でもう授業に集中できるとかのレベルじゃなかった。
このころは自分と他者が見ている世界の相違、なるものが気になってとにかくなにもかもがこわかった。
このことはこのブログを書いた一番初めの記事に詳しく書いてあるので興味があればぜひ読んでみてほしい。
軽く話すと、
「自分と他者でコミュニケーションはとれているように思えても、頭の中で全然ちがうことを考えているかもしれない」と思ったり、
「同じ言葉でもその言葉の意味を聞いたら、自分と他者ではそれこそ全く違う返答になるかもしれない。それなのにコミュニケーションが取れている・・・・!
さらに今まではコミュニケーションが取れていても、次の瞬間にはなんでかわからないけれど取れなくなるかもしれない・・・・!
(気分は隠れキリシタンのようだった。 たぶんこれ伝わらない。)」
こういうことがとにかく不思議、もっというと恐ろしかった。
哲学の中では独我論とか、言うみたいなんだけど
そんな名前はどうのこうのよりもこういうことが考えられる、ってのが恐ろしかった。
高校にもなると自分をほんの少しではあるが客観視なるものができてきて、
自分が考えているようなことのほとんどを周りの人たちは考えていないということに気付き始めた。
周りの人たちが考えているのは、、
「テスト勉強したか」
「好きな子がいるけど告白できない云々」
「次の授業は眠れるから楽だなあ」
「帰りに○○寄っていく」
などなど
など俺からしたらすごく遠くにいる生物のように感じられた。
(この感覚は今もあって、健常な一般人は普段俺の考えているようなことは感がていないんだなと、今なら肌身として実感できる。)
が、とはいえ高校一年のときは
まさに高校デビューという言葉がしっくりくるくらい勉強(ここでいう勉強とはテストで点数を取るためにイヤイヤやらされている勉強)はし、
一般の高校生という「普通」に染まろうとした。
しかし人間、性格というのは形状記憶のようなもので
すぐに自分は無理をしているんだなと気づくことになる。
そしてまた俺みたいな人間が無理して普通に合わせようとすると
周りからはそうすること自体が「異端」にうつるのである。
高校1年はなんとか乗り切れたものの、ついに高校2年の時に俺の中の何かがぶっ壊れた。
自分の高校では(一応の)進学校のため、生徒の進捗具合を図るため高校2年と高校3年の担任は同じという決まりがあった。
このときの担任が一言でいうと「人間のくず」だったのだ。
そうまさに人間のくず。
と、いうのもいかにその悪行を書くが、
・成績のいい生徒、悪い生徒の扱いがとにかく激しい 見るからにわかるえこひいき
・成績の悪い奴には「くず」「ゴミ」「もう学校来なくていい」などの暴言をはきまくる
・いじめがあってももろ見て見ぬふり
などなど
そしてこのときからまた俺に対するいじめが始まった。
今度のいじめはとにかく陰湿だった。
とにかく俺は馬鹿にされたのだ。
ただそれはそれでつらかったが、このころ一番つらかったのは担任の暴言によるせいも大きかったのか、
「自分のような変わっている考えを持っているやつはこの世に生きてはいけないのか」
と半ば強迫的に思い込むようになってしまった。
そして誰にも、自分が持っている哲学観を理解してもらえないんだなと肌で感じてさらに自分の殻に閉じこもっていった。
そして時は2012年9月、高校2年の2学期が始まるか否かのとき。
俺は学校をやすんだ。
いや正確に言うともう行かない、くらいの勢いだった。
このときの母親はもう急に息子が学校をやめるだの言いだすから大パニックを起こしていた。
もうなにが何やらわからなかった。
その日のうちにおれはうっぷんとした自分の心の中に壁を開けるかのように
自分の部屋の椅子を窓ガラスになげて窓ガラスをバリバリに割った。
母親は泣いていた。父親は黙っていた。弟も何も言わなかった。
たぶん今後この先俺はどこにも俺をわかってくれる居場所、そんなところはないんだなと身にしみて感じた。
②はじまるひきこもり時代
窓ガラスの破壊とともに俺のひきこもり生活が始まった。
ひきこもっている間は何をしていたんですが?
よく聞かれる。いろいろしていたけど一番してたのは
「本を読んでいた」
ひきこもり始めた矢先母親が、俺の机の上に
池田晶子さんの『14歳の君へ』という本を置いていた。
この本を読み、俺はびっくりした。
世の中には「哲学」という学問がある。
いやそれだけじゃない!この池田さんという人は俺と似たようなことをずっと考えていたのか!!
俺は救われた気がした。
そこから俺はひきこもりながらも夜に近くの本屋に行き、
思想・哲学コーナーなるものがあると知り、
そこの哲学入門書なるものをかたっぱしから読んだ。
親もひきもってた俺が本を読む、というのはどこか肯定される行為に見えたのだろう。
本代は出してくれた。
ただ入門書とはいえやっぱり何を書いているのかわからないときがほとんどだった。
それでもそのときは自分と似たような疑問を抱え、それをこんなにも一生懸命取り組んでいる人たちが世の中にいるということを知れただけ安心した。
いま思い出しても部屋にひきこもっている間本を読んでいたのがいまの俺のアイデンティティに大きく影響している。
③まとめ 俺はなぜひきこもったのか
ここで今一度自分のためにも、俺はなぜひきもったのかを整理してみたいと思う。
なぜひきこもったのか?
→自分を受け入れていもらえる場所がないと感じたから
聞く人が聞けば、とても自己愛に満ちた自分勝手な理由ととられるかもしれないが、俺からしたらとにかく切実な問題だったのだ。
(ほかにもこの記事では書ききらなかったことで)
→学校という場所にどうしても行く必要を感じなかったから。
→学校に行くと思うだけで吐き気がしたから
(そもそもあんな教室という狭い牢獄に40人近い生物をぶちこめたらそりゃいじめも起こるわと、なぜ誰もわからないんだろう。)
今も外には出てるとはいえ、こころはまだまだひきこもりのときと大差ないと思っています。
そんな僕だからこそわかる視点があり、それを皆様にお伝え出来たらなと思っています。
さて今回はここまで!
次回は「ひきこもり脱出~大学編」
ぜひ読んでください!