間違えることを恐れないためには、間違いを認識しないこと
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguです!!
「間違うこと」に対する僕の恐怖を言語化した
間違うことは僕にとって、人生の中でとても怖いことの一つだ。
何(なに)で間違うのが怖いのか?
なんでもだ。
どんなことでも間違うということは僕に恐怖を引き起こす。
ってな趣旨のことは再三再四このブログに書いてきた。
もっと具体的にその恐怖がいったいどういったものか言語化したので書き出してみる。
「間違うことが怖いとき、何を僕は恐れているのか」
・恥をかく
・よそものと思われる(ほかの熟達者とは違うということ)
・初心者と見下される
・仲間外れにされる
・馬鹿にされる
・プライドが傷つく
・孤独を感じる
とかく僕は無駄にプライドが高い。
そして「間違う」という行為は僕のそうしたちゃちなプライドを問答無用で傷つけてくる。
だから怖いんだ。
だからといって根っからの楽天家のように「間違いなんか屁でもなんでもねえよ」とは言いきらない。
かといって、このまま間違うことにびくびくしているのも嫌だ。
僕は間違うことは恐怖だが、それと同じくらい新たなことに挑戦するのが大好きなんだ。
(ほんと何がしたいんだよ、とは自分でも思ってる。)
間違いに意識を向けた時点でゲームセット
ここで大切なことは「間違いを何とも思わない」
という選択肢は僕にはないということだ。
言ってしまえば、「間違いを間違いと認識した」時点で僕は恐怖を感じる。
であるならば、「間違えてもそれをこの僕自身が間違いと認識しなければいいのではないか」という仮説が生まれる。
そうすれば認識する間違いが存在しないのだから恐怖も同時に存在しなくなる。
実際このことは自分事なので仮説の領域を出ることはないかもしれないが、事実僕が調子のいいモードの時は「間違えたことがあってもそれを間違いとは認識していないこと」が多い。
英語を例にとろう。
僕は、英会話含め、文法、多読、この3つの方法でここ4か月ほど英語の勉強を続けている。
継続とはすごいもので、本当に微々たる量だが4か月前よりは、英会話で聞き取れる量、自分から話す語彙数も間違いなく増えている。
もっとも自分が成長したなと実感できるのは文法の間違いやら、単語の言い回しなんかの間違いを気にせずにとにかく必死に伝えたい思い、考えを、どれだけ間違っていても英語で言葉にできた時だ。
このときの僕はいちいちどこを間違ったかなんての自己チェックはしていない。
逆に最も英語を(特に英会話)していてつらいなと感じるのが、「間違いを恐れてびくびくして言いたいことも言えず、あげくおどおど話すもんだから話したとて伝わらないとき」だ。
もちろん伝わる英語を話すにおいて「間違えないこと」は大切なことだ。
しかしその間違えることに恐れをなし、英語を話すことがつらくなり、勉強したくなくなるのは本末転倒もいいとこだ。
暴論かもしれないが、英語(もっというと言葉)は文法が間違っていようが、単語の選択がおかしかろうが、伝わりさえすればいいと思っている。
だから間違うことに気を取られて前に進めないのは無駄でしかない。
せめて自己チェックの回数を減らそう。たとえなくすことはできなくとも。
では、どうやれば「仮に間違いだとしてもそれを間違いと認識せずに済むのか?」。
もっともシンプルな答えは「自己チェックをやめること」。
自己チェックとは自分で自分の行為に間違いがなかったかどうかを探すこと。または間違いを見つけたうえで、どうすれば正解だったのかを考える行為、のことを言う。
僕が間違いで苦しむほぼすべての原因がこの「自己チェック」だ。
完璧主義傾向のある人はかなりの人がやってしまっているのではないかと思われる。
僕もひどい完璧主義なので自己チェックの機能もそれはそれはちょっとのミスも許さない厳しいものとなっている。
案外人から実際に「それ間違ってるよ」とは、「なんか変」と言われたことってその場限りでとどめておけばたいしたことにはならない。
しかしその言葉を自己チェック機能が過大評価をして、「なんか変と言われたぞ。。一体どこが変なんだ!?探せえ!!どこが変なんだ!!俺は間違っているぞ!!間違っている部分を探せえええ!」となりだしたらもうオワオワリ。
なので、まずはこの自己チェック機能を、完全になくすことは無理でも減らすことが間違いに振り回されない最良の方法かなと思ってる。
今日のブログは以上です。
今日もよろしくお願いします。