「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「結果がすべて」とは言うけれど

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 がんばってきた道のり

「結果がすべてだ!」と世間は言います。

結果が出なければそれまでの過程は意味がない!逆に結果さえ出せば過程はどうでもいい!、ともいいます。

 

確かにそれはその通りだと思います。

実際社会は結果で回っているし、結果を出すことを目標とするからこそがんばれます。

 

しかし。しかしです。

僕自身のことを振り返ってみるといつも残っているのは「あのときこれだけがんばったよな」とか、「がむしゃらだったな」とかの過程のほうなんです。

つらいときの僕を支えているのは「過去にがんばった過程」なんです。

死にたいときには決まって「今死んだら今までのがんばって生きてきたのは何だったんだ!」と頑張って生き抜いてきた過程が僕を励ますのです。僕を支えるのです。

若林さんの言葉

毎度おなじみオードリー若林さんの『社会人大学人見知り学部卒業見込み』から以下の文を少し長いですが引用します。

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)
 

「結果」には即効性がある。

社会参加することができたり、エアコンや風呂やルンバをもたらしてくれた。

だけれども、だ。

だけれども、結果は値がすぐに変わる。いや下がるんだ。毎日のように現場で一緒だった芸人仲間が数か月すると会わなくなる。そんなことを何度も体験した。

 

「結果がすべてだ」という考え方が世の中には蔓延している。プロなら過程は問題ではない。「結果を出せ」という考え方だ。しかし、僕の胸には「結果」自体は強くは残らなかった。それは実感だった。自分の胸を探ると、つかめるのはいつも過程だった。あれをあれだけやって、めんどくさかったし、大変だったけど、楽しかったな。完璧にはできなかったけど、自分なりにやったな。そんな単純な想いだけはいつも値が下がることなく胸に残っているのだ。「結果」はいつもそういうものの後に後出しのじゃんけんのようにやってきた。

天才は「結果がすべてだ」と言えばいい。自分にはそれは関係のないものなのだ。

特にすごいわけじゃなく、特にダメじゃない。そんな自分の自己ベストを更新し続けていれば、「結果」があとからやってこようがこなかろうがいいじゃないか。特別な才能がないから自己ベストを更新し続けるしかないという諦めは僕にとって自信になった。

 いつも若林さんの文章を読むたびにその文才に感動させられます。

僕もいつかはこのくらいの文章でブログを書けるようなることを目標としています。

 

と、それは置いといて、

僕もこの若林さんの考え方で生きています。

十把一絡げの凡人の極みである僕、変わり者ではあるが秀でて何かお金をきちんと稼ぐ力はまだ持ち合わせていない僕、何か一つでもとびぬけた才能があればと願う僕。

天才じゃない僕は結果で勝負することには疲れました。

だから自分の中で自己ベストを更新しつづけることにシフトチェンジしました。

 

もちろん僕は不完全な人間ですから、昨日できていたことが今日できなくなるなんてことしょっちゅうあります。

そんなときは「ああ、これは次いいことがおきるフリだな」と捉えるようにしています。

 

昔も、今も、これからも、僕を支えるのは過程で、結果はトッピング程度についていてくれればなと。

少しでも楽な生き方を。

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^

ではまた!^^