「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

家族はとっても難しい~家族のことを知ることは難しい~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 家族がわからない

18で家族のもとを離れるまで僕はとにかく家族と仲が悪かったです。

父、母、弟、祖父母、みなと一様に仲が悪かったです。

唯一仲が良かったのは飼っている犬くらいでした。

 

父とは今もちゃんと話せないです。

会話すら成り立たないです。

母は根っからのヒステリー症できちんと会話をすることができないです。

弟とはもう10年近く口をきいていないので何もわからないです。今どこにいて何をしているかも詳しくはわかりません。

 

社会人になり少しずつではあるもののいろんな人と関わりを持つようになって、こういうような家族と距離がある付き合いをしている人ってのはいがいにもそこそこいるんだなと知れて安心しました。

大学時代までは家族と仲がいい人(そう見えていただけかもしれませんが)ばっかりが周りにいたのでこういう家族と連絡とり合わない、めったに合わない俺って変わってるんだなと変にセンチメンタルになっていました。

自分の気持ちを代弁してくれる本を見つけた

今回のブログでは「家族と言えどもわかりあえない」ってことを書こうと思いました。

しかし自分の文章力のなさゆえにどういう風に書いていけばいいかわかりません。

と、たまたま図書館で読んだ本の中に「家族とのわかりあえなさ」をいい感じに表現してくれている本があったのでそこから引用します。

本のタイトルは、あたそ著『孤独も板につきまして』です。

孤独も板につきまして  気ままで上々、「ソロ」な日々

孤独も板につきまして 気ままで上々、「ソロ」な日々

  • 作者:あたそ
  • 発売日: 2020/02/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 私は家族について何も知らない。

どこで何をしていて、どんなことが好きで、どういう友達がいるのか。そういう基本的なことを何も知らないのだ。

恐らく家族も私についての情報を何も知らないだろう。お互いがお互いに無関心で、干渉しあうことがなかった。だからこそ、私たちは、家族としてうまくやってこれたのだろうし、徐々に関係が崩れていってしまったのかもしれないと思う。

どうしても興味を持てないから、話を広げることもできない。うなずくという単調などうさをするだけで精一杯だった。

 僕も家族のことを何も知らないです。

この場合の「何も知らない」というのは家族が普段どういう人たちと接し、どういうことを考え、どういうことに悩んでいるかを知らない、ってことです。

そして家族側も僕のことは知りません。

というか一番知ってほしい(わかってほしい)部分を理解してもらえませんでした。

このわかってもらえなさは多分今後もずっと残るんだろうな、とは感じています。

 

「もう遅い時間だし、寝たら?」と私が尋ねると、「そんなに私が嫌なの?」と母は答えた。

「うん、嫌だよ」と心の中で唱えてみても言葉として出てこない。咄嗟に思い浮かんだ言葉をかき消して、「そんなことはないけど・・」とどっちつかずの返事をする。

 

だってあなたは。

私の話をきちんと聞いてくれたことが今まで一度もなかったじゃないですか。私がどれだけ考えて意見を伝えても、論点をすりかえてしまうじゃないですか。最後には「どうせ全部私が悪いんでしょ?」と言い、そのあとも私に聞こえるくらいの声量で、物にあたりながらずっと嫌味を言うではないですか。その大きな音と嫌味に何度も傷つき、いくらやめてほしいと頼んでも「聞こえるように言っているんだからやめない」と、いつも話していたじゃないですか。

 一度でもきちんと僕が感じているつらさや、モヤモヤや、行き場のなさをくみ取ってくれていたら何かが変わっていたのかもしれません。

しかし僕の場合はいつも母なりの、家族なりのかってな解決策を持ってきて無理やり解決させようとさせられました。

つらかったです。

「家族を大切に神話」は気にせずに

書いていてつらくなってきたので、ここらへんで家族に対する負の感情を吐露するのはやめようと思います。

 

現代はすごく「絆を大切に」が叫ばれてますよね。

仲間を大切に、友達を大切に、恋人を大切に、同僚を大切に、、、

そしてそのさいたる例が「家族を大切に」です。

 

「どれだけ家族からひどいことをされてきたとしても家族(両親)がいなければお前は生まれていなかったんだ!だから何があっても家族には感謝しなければいけない!」

いつの時代もこういうことを言う人は必ずいます。

 

いつもこういう類の話をきくときに僕は「ああ、この人はきっと家族からひどい暴力も受けたこともなければ、精神的嫌がらせも受けたこともなければ、口を開くたび家が崩壊するくらいの騒動になることもなければ、きっといい家族のもとで育ったんだろうな」と思います。

DV家庭、ネグレクト家庭、その他家族からつらい思いをさせられた人たちで、上記のようなコメントを言っている人を僕は誰一人として知りません。

広い世の中、DV家庭で育っても家族を愛することができました!という人は絶対いないとは言い切れませんが、少なくとも僕の知り合いにはいません。

なのでこういう家族に対するキラキラコメントを聞いた際は「まあ、人によるよね」と最後心の中でつけたしを加えています。

 

僕は25歳になり家族の元を離れてそこそこの時間がたち、距離を置き続けてようやく「両親も両親なりに精一杯だったんかな」と少しずつ思えてはきました。

少しのやりとりならできるくらいにもなりました。

感謝するときは感謝も伝えられるようになりました。

 

とはいえ、やはり家族は難しいです。家族だからこそ難しいです。

僕自身は「家族が何より大切!」という「家族を大切に神話」を「人によるよね」でのらりくらりかわしながらとりあえず今日も生きていきます。

それと家族に縛られて人生がどうにもならない人は、きれいごとしてきいてもらってもいいですが、とにかく逃げるのが一番です。

逃げられるのならとにかく逃げてください。逃げられないなら逃げる方法をまずは考えてください。

人生はあなたのものです。親のものではない。

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^

ではまた!^^