「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

孤独の必要性

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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孤独のメリット

今まで本ブログでは何回かに分けて孤独について書いていますのでよければそちらの記事もお読みいただければ幸いです^^

 

www.dotama-kotoba.com

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今回、シェリー・タークルさんの『一緒にいてもスマホSNSとFTF~』を参考にして孤独のメリットについて書いていきたいと思います。

(もしかしたら過去記事でも書いたかもしれませんが、今回新たに日もたち再度書いてみたいと思います。)

一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

 

 この本は端的にまとめると以下のような内容です。

 

現代は多くの人々がスマホに支配されて、人と人とが面と向かってコミュニケーションをとる機会が減っている(激減していること)を、著者のシェリー・タークルさんはとても危惧しています。

さらに著者はSNS(Social Network Service)に代わるFTF(Face To Face)のコミュニケーションの大切さを説いています。

 

良いコミュニケーションのためには「孤独」が必要である

本書は、スマホによって失われた面と向かってのコミュニケーション、他者との会話、を取り戻すための一つ大きな要素として「孤独」をあげています。

「孤独」についてだけで一章大きく取り上げています。

その中で、アメリカのコメディアンのルイ・C・Kさんのコメントに僕はとても感銘を受けましたので少し長いですが引用してみます。

(一部文脈により改変しています)

 

自分一人きりのときに何もせずにいることができる力を、つちかう必要がある。それはスマホが奪おうとしているものだ。

人生は無、永遠の無のうえに成り立っているからだ。すべては無に帰すということ、自分は一人きりだと知ることが大事なんだ。

 

(それでも僕はひと時でも孤独になりたくないから)つい、運転しながらメールしてしまう。ほとんど多くの人が運転しながらスマホをいじってしまう。そうやって互いに車で殺し合いをしているわけだ。けれど人がそうやって自分の命を危険にさらし、他人の人生をめちゃめちゃにしようとしているのも、ほんのわずかな間でも一人になりたくないからだ。

(中略)

・・・・・ともかく、そういう悲しい気分になったんで、スマホに手を伸ばして、それからこう思った。「わかってるだろ。やっちゃいけない。たんに悲しくなってりゃいいんだ。悲しみを感じて、トラックにひかれるような気分に任せていればいいんだ。

 それで、僕は車をとめて、弱虫野郎みたいにさめざめと泣いた。散々泣いたら、きれいさっぱり。・・・・悲しみには詩的な美しさがある。・・・・悲しいときを生きるから幸いなんだ。僕が幸せな気分になるのは、悲しい気持ちに身をゆだねたときに、悲しい気持ちを迎えうとうとする抗体のようなものが身体の中にどっと湧くからだ。

でも僕らはそもそもの悲しい気持ちを味わいたくないばかりに、スマホでそれを払いのけてしまう。だから、心からの幸せも心からの悲しさも、決して感じることがない。成果に満足するくらいのことしか感じない。そうこうするうち・・・・死を迎える。

 だからなんだ、僕が自分の子どもたちにスマホを持たせたくないのは。」

 ほんと何度読んだかわかりません。

何度も紙にも書き写しました。

僕たちは、孤独ゆえの悲しさを味わいたくないがためにすぐにスマホに走ってしまう。しかしそれでは本当に幸せな気分を感じ取ることはできない。

孤独の悲しさ、寂しさをしっかりと感じる経験をするからこそ、人と話し、面と向かってコミュニケーションを取れたときの喜びがとても幸せなものになるのでしょうね。

こう考えると、人とあっているときに(面と向かってコミュニケーションをしているときに)、スマホをいじるのなんて愚の骨頂ですね。

寂しさをしっかりと感じ取っていたなら、人との面と向かってのコミュニケーションは大切な時間であるはずだから。

 

孤独の効用

また本より引用します。

 

他者に手を差し伸べることができるのも、他者を別個の独立した人格として見ることができるのも、孤独を味わう能力あってのことだ。

ありのままの姿以外を他者に求めなくて済む。

それはつまり、他者の話に耳を傾け、その言い分を聞くことができるということだろう。

そのため、共感をはぐくむには孤独を味わう能力が不可欠となる。だからこそ、孤独が会話の善循環のきっかけになる。

自分自身に満足していれば、ほかの人の立場に立ってみることができる。

 逆説的なようですが、孤独をしっかりと受け入れ、自分の気分や気持ちとうまく付き合いができている人ってのは「理解してよ!なんで理解してくれない!?」と他者に過度の期待を求めません。

そしてなにより自分で自分を受け入れている人は、「他者の話を聴くこと」ができます。

自分とは違う意見、考えを持っている他者に対して、肯定し存在を認めたうえで、さらにその上で「自分はこのように考えるんですけれど、そのうえで○○さんの意見と照らし合わせてみると、新たな視点が見えてきそうな気がするのですが」と相手の意見に自分の意見を重ねることもできるんです。

 

孤独というのは、「自分がどういう人間なのか」を知るためには必要不可欠なのです。

一人になり、自分を見つめ、思考することがやはり僕は人間の成熟には必要だと思いますね。

 

僕もたまにはスマホを1日さわらず、読書をし、散歩をし、そして人とただ会話を楽しむ日を作る用意識します。

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!