「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

1人で過ごす力 part1

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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1人になればすぐにスマホ

現代の多くの人が1人で暇な時間を過ごすときにスマホとともに過ごしています。

僕も嫌だ嫌だとは思いつつもスマホの誘惑に負け1人でいるときの大半の時間をスマホに費やしています。

 

今回は1人で過ごす力のタイトル通り孤独のメリットを書いていきたいと思います。

そしてブログを書く上で以下の本を参考、引用しています。

スマホ社会を生きる全員に必読書だと僕は思っているくらい有益なことが書かれてありますのでよければぜひ読んでみてください^^

シェリー・タークル著『一緒にいてもスマホ

一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

 

 

現代はスマホで常時誰かとつながることができるおかげで、「完全に1人になる時間」をほぼすべての人がもてなくなっています。

完全な1人の時間、つまり孤独の時間ですね。

 

孤独の時間は忌み嫌うべきものとして扱われます。

しかし本当にそうでしょうか?

孤独の時間ははたしてよくないことばかりなのでしょうか?

自分がなにか勉強したり、スキルをみにつけたりとするための時間は孤独な時間です。

自分のことについて思索をめぐらせるのも孤独な時間です。

それに人といると疲れてしまい自分の中のチューニングがくるう。狂ったチューニングを1人の落ち着いた時間に整えて元に戻す。これも孤独な時間です。

 

単刀直入にいうと人が人として生きていくためには孤独な時間が欠かせません。

では実際孤独にはどんな効果があるのでしょうか?

孤独の効果

①感情をしっかりと感じ、自分を受容できる。

少し長いですが以下の文章を引用します。

僕がひとりで車に乗っているとき、ブルース・スプリングスティーンの歌が聞こえてきた。

その歌を聞いているうち、ふっと落ちていくような、休み明けに憂鬱で登校したくないような気分に襲われ、すっかり悲しくなった。

それで、「そうだよ、俺はとことん悲しいのさ」と思って、スマホを取り出してメールを、ざっと50人ばかりに打とうとした。

ともかく、そういう悲しい気分になったんで、スマホに手を伸ばして、それからこう思った。

「わかってるだろ。やっちゃいけない。たんに悲しくなってりゃいいんだ。悲しみを感じて、トラックに轢かれるような気分にまかせていればいいんだ。」

それで僕は車を停めて、弱虫野郎みたいにさめざめと泣いた。散々泣いたら、きれいさっぱり。悲しみには詩的な美しさがある。悲しいときを生きるから幸いなんだ。

感情をそのままゆっくりと受け止めて感じる力。

これができるだけで人生はとてもゆっくりで、とても穏やかで、とても実り豊かなものになります。

僕は自分のことを振り返り、ここ最近何にも邪魔されずに悲しみきったことってそういやもうないなとわかりました。

悲しい気持ちが湧き起こったらそれをごまかすためにスマホに逃げる。

不安な気持ちが襲ってきたらそれをごまかすためにYouTubeで動画を観る。

依存というのは自分の不快な気持ちから逃げるためになってしまうものなのかなと思っています。

 

僕の経験上、感情というのはごまかそうとすればするほどどんどん大きくなっていきます。

しかも実態がないただの幻ゆえに怖がって逃げれば逃げるほどより怖く見えてきます。

そうならないためにはまずはしっかりとその感情の存在を認めて、その感情に対して居場所を作ってあげることです。

そしてしょせん感情にすぎない、自分をどうすることもできないさ、と理解することが大切です。

すぐにスマホに走るのではなく、一度落ち着いて自分の感情をそのまま感じてみるのもやってみてはいかがでしょうか。

②他者に共感できる。他者に手を差し伸べることができる。

他者に手を差し伸べることができるのも、他者を別個の独立した人格として見ることができるのも、孤独を味わう能力あってのことだ。

ありのままの姿以外を他者に求めなくて済む。

それはつまり、他者に話に耳を傾け、その人の言い分を聞くことができるということだ。

そのため共感をはぐくむには孤独を味わう能力が不可欠となる。

僕の言葉で言い換えるなら「自分1人で人生を歩ける力が備わって初めてありのままの他者を受け入れ、コミュニケーションをとることができるようになるですね。

孤独を楽しめる、孤独を友とできて、初めて他者を自分の要求の色眼鏡でみるのではなくありのまま見ることができます。

僕も不安定なときほど他者に対して「こういうことを言ってほしい!」、「なんでもっと優しい言葉をかけてくれないんだ!」とありのままの他者を受け入れられずにいます。

そして当然ですがこんな状態じゃ良好なコミュニケーションなんて取れるはずもありません。

また引用文にもある「他者に手を差し伸べる」というのも自分自身が1人で安定して立っているなと感じているときにしかできません。

他者に不安を埋めてもらいたいと欲しているときは、自分がしてもらうことばかりで全く他者に手を差し伸べるなんて考えは抜け落ちています。

 

 

Part1は以上です。

明日のpart2では孤独の効果の続きである「想像力が育まれる」と「ものごとを時間をかけて考えることができる」と言ったことを書いていきたいと思います。

明日もよろしくお願いします^^

 

今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^