修行の毎日~寿命まで生き抜いてやる~
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
自分が死んだって、知らん顔で世界は周り続ける
相も変わらず生きづらい毎日です。
閉塞感、モヤモヤは常に僕とともにあります。
こんなもんだから、希死念慮を感じるなんてのはもはや朝夕のはみがきくらい日課になってきましてね。
ここ最近ずっとは希死念慮を感じることは感じるけれどもそれをただの1感情だなと割り切れてきています。
仮に今僕がここで死んだって世界は知らん顔して周り続けます。
世界のほぼすべての人間が僕が生きていたことも、死んだことも知りません。
僕が今ここで死んだって、
環境問題は依然残るし、
コロナ騒動は続くだろうし、
AIへの移行はどんどん進められるだろうし、
GAFAの4大企業は今以上に力をつけるだろうし、
貧困問題は依然続くだろうし、
とにかく僕一人がいなくなったところで世界は何も変わらない。
僕はこのことが腹の底から悔しいんです。
俺の命だぞ?
何にもないなんて悔しすぎる!!
だからこそ僕は負けたくないからこそ寿命まで生き抜いてやるんです。
何も成し遂げられないかもしれない、何者にもなれないかもしれない、
でもせめて途中離脱はせず最後まで生き抜いてやろうと。
悔しさからの生のモチベーションですね。
こう考えると死にたいと希死念慮が沸き起こっても、死んでたまるかが出てきてうまく相殺してくれるんです。
おそらく、僕のこの生へのモチベーションはなかなか理解されづらいです。
僕も理解してほしいとは思っていません。
そのうえで僕が言いたいのは「悔しさはすごい原動力になる」ということです。
実際心理学なんかでも、楽しさやうれしさよりも悔しさ、怒り、嫉妬などの負の感情のほうがずっとモチベーション維持には役立つという結果もあります。
皆さんも、例えばテストの勉強なんかをするときでも、「〇位をとろう!」と漠然と思うよりも、「むかつくあいつにだけは絶対に負けたくねえ!!」と感じているときのほうが多分勉強に身が入ったと思うんですよ。
それと同じ理屈を僕は人生に応用しているだけです。
途中で僕が死んだって、この世界においてその死には何の意味もない。
だからだからせめて最後まで生きてやる。最後の最後寿命尽きるまで生きてやる、ってことです。
そして、自分が死ぬことで当然ですが悲しむ人もいます。
しかし悲しんでくれはしても僕の抱えていた苦しみや、つらさまでは究極にはくみ取ることはできない。
このことが僕は悔しいんです。
結局決め手は、自分で自分を受容し、自分で支えるしかない。
なら自分で自分を生かしてやろうぜ、ということなんです。
人が見れば「全く筋の通っていない話だ」と思われるかもしれませんが、僕はこれで実際生きる力をもらってます。
日々の日常は修行です
刺激も特にない、ワクワクもない、ただ淡々と自分で決めたやることをこなす毎日。
それこそが僕は日常だと思います。
生き続けるためにはこの日常をどう生き抜いていくかがとても重要になると考えます。
淡々と過ごす日々に嫌気がさし、刺激を求め、お酒に走ったり、いろんな人との出会いを求めて翻弄したりと、様々な人がいます。
僕の場合は、「この日常こそが人生。日々修行!」と思い、心を落ち着け日々過ごしていくことが一番体に合っています。
もちろんたまには刺激的なこともありますがそれもほんとたまにです。
人生のほとんどの、言うなれば退屈な日常をどれだけ心静かにすごせるかが、心に迷いを生まず生きやすくなるための大きな秘訣だと思っています。
日々修行です。
今日も生きます。
皆様の一日が素敵なものとなりますように^^