「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

考えない効用

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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考えすぎでつらい毎日

なにをかくそう僕tigubaguはきっての考えすぎマンです。

考えすぎて、目の前真っ暗になったことなんてまさに数えきれないくらいありますね。

 

じゃあ、なんで考えすぎてしまうのか?

いつものとおりその原因は「不安と恐怖」ですね。

ある一つわからないことがあると、そのことに対してとても不安と恐怖を感じてしまう。

わからないことがある自分はダメなやつなんだ、わからないことがある自分には価値がないんだ、といった感じですね。

不安と恐怖を作り出している源泉は僕の完璧主義(不完全恐怖症)ですね。

 

改めて僕がなんでわからないことにここまで不安や恐怖を感じるのか、それ幼少期(小中学校)のころの育った環境に起因すると今の僕は考えます。

幼少期のころ僕の家は典型的な「とにかく勉強していい成績をとれええ!」といったタイプの家庭でした。

幼いながらにも塾に通わされ、今考えるとほんと地獄だなと思えますが、当時はそんなこと考える余裕すらなかったです。

そのときに親、ひいては周りの教師どもの口癖が「わからないことを作るな。全て理解しろ!」と言ったものでした。

それをきいていた僕は、そもそも理解するってどういうことだよとそこでつまずいてしまったので、まあ毎日がつらかったですね。

ここらへんのことは過去にブログで詳しく書いてありますのでそちらをぜひ読んでください。

 

www.dotama-kotoba.com

 

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で、そんな環境を経て育ったので、とにかくわからないことは全部考えなきゃいけないんだあ!ともはや強迫観念的に自分を追い込むようになってしまったんですね。

 

しかしですね。

落ち着いて、楽な姿勢で、ボーっとしてるときにふと思ったんです。

「わからんもんはわからんよな」と。

そうなんです、いくら考えても、僕みたいな「わからないことに敏感に反応してしまう人間」はどうせわかった!となってもまたすぐ自分でわからないことをこしらえてくるんです。

この連鎖には言葉通り終わりがありません。

終わりがないんで考える苦しみから解放されることはないんですね。

 

ですんで、すごく簡単な結論なんですけど、

自分が何かわからないと思うことに直面した時は、もうそれはそれでいっかと割り切るのがまじで一番楽なんですね。

しかも皮肉なことに、考えずボーっとして楽な状態でいたほうが、がむしゃらに考えているよりも自分でスッキリする答えが見つかるんですね。いやはやこれはほんとに。

 

さらにこれは僕だけじゃないかもしれないんですが、考えずにはいられない人って、そういう考えている自分ってすごいだろ?考えている自分って人と違うだろ?っていうように考えることが自分の(悪い意味での)アイデンティティになっている人が多いんですね。

僕含め、このような考えることそのものがアイデンティティになっている人って、考えないっていうのはいわば自分が自分でなくなるも同然なんですよ。

考えるのをやめてしまえば、俺はなんのとりえもない人間になってしまう!考えなければ人よりも劣ってしまう、という、まあはたから見れば完全にその人個人の一人相撲なわけですが当人からすればまさに切羽詰まっている状態なわけです。

ゆえにこれに関しては僕はプライドもアイデンティティもかなぐり捨てて、わからない自分も自分だ!と言えるある種の強さが必要なんじゃないのかなと思っています。

 

考えないっていうのは人生を楽に生きることができるっていうすごい効用があると僕は思っています。

わわらんもんはわからん。

何一つ僕はわかってることなんてない。

考えて、疑ったらすべてがわからない。

あ、でもわからないってことはわかるか。

いやまてはたしてそうか?

これ以上はやめておこう。

 

考えずもっと感覚で生きてみます^^

 

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!