「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「孤独」を考える part4~自分で自分を支えるってのは孤独なことだ~

こんにちは^^

tigubagu(@tigubagu0123)です^^

ここ1週間まじで食べすぎ!

確実に太ってきています。

しかしなぜでしょうか。。食べても食べても食欲がおさまらないんです。。。

お風呂はいるときに鏡を見てみると出てくるお腹を見てため息がでます。。。。

でもお腹減るんだ〜〜

 

さてさてそんな今日のテーマは、、

 

「孤独」を考える part4

~自分で自分を支えるのは孤独なことだ~

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自立という言葉には大きく

経済的自立と、精神的自立の2つがあります。

 

どちらが大切というのはなくどちらも大切ではあるんですが、そもそも「自立する」とはどういうことなのでしょうか。

 

(いつものように僕の思う自立のイメージをいくつか書いていきます。)

 

ぼくは自立ってのは

「自分で自分を支えること」だと思っています。

 

辛くなったとき、自分が否定されたとき、どこにも寄る辺がないとき、人は他社に救いを求めます。

それがひどくなると他者がいないと生きていけない!、といういわゆる依存状態になります。

 

でも「自分」と「他者」は言葉通り別人です。

「私」は「あの人」じゃないし、「あの人」は「私」じゃありません。

 

他者が助けてくれる、自分をこの苦しみから解放してくれる言葉をきっとくれるんだ、と他者に期待してしまうと間違いなく辛くなります。期待というのは期待が果たされることが前提にあるので、そこには喜びも何もありません。あるのは期待が果たされなかったときの失望感のみです。

そうではなく辛いとき、苦しい時こそ立ち止まって「自分」と向き合ってみる。

 

僕は意識していないとすぐに物事を悲観的な方に捉えてしまう性格の持ち主でした。

そしてすぐに他者に答えを求めていました。

(いました、と過去形で書いていますがこの癖はなかなか抜けず今も気をぬくと悲観の方向へと走ってしまいます)

 

しかしゆっくり立ち止まって、

「本当にそんなに大変なことなのか?」

「俺はそれで死ぬのか?」

「大変だとしたらどう大変なんだ?」

 

と本当にゆっくり、きわめつけはノートにも書き、自分の気持ちを整理していきました。

 

するとほっとんどのことは「たいしたことがない」ことがわかったんです。

 

誰が言ったのかは詳しくはわかりませんがまさに「死ぬこと以外かすり傷」です。

 

話をもどしましょう💦

辛い時に自分と対話して自分のことを知る。

 

が、ほかの「孤独を考えるシリーズ」でも再三再四言っている通りその作業はやはり「孤独」です。

 

この孤独の中で自分で自分を支えることができたのなら、もう怖いものは何もないでしょう。

なぜなら助けてくれる存在はいつも「自分」そのものだからです。

 

ゆっくり、ゆっくり、

今現在モヤモヤした気持ちや、寂しさを抱えている人、いきばのない気持ちを抱えている人なんかは「なぜそのように感じるか」を考えてみてください。

その際頭の中だけd考えるのではなくノート、それも大きめの余白がたくさんあるノート(画用紙なんかでも構いません)に言語化したしこうをたくさん書き連ねてください。

 

別に誰かに見せる必要はありませんから自由にのびのびと書いてください。

 

きっと自分を知るための手がかりが見つかると思います。

 

 

今回は以上です。

では、また次のブログでお会いしましょう!