「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

自分の思考への執着

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!!

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 大切にし(こだわり)続けたものほど捨てられない

ASD自閉症アスペルガー症候群)の人のこだわりってのはどこか強迫じみているくらい鬼気迫ったものがあります。

僕自身が当事者でこのこだわりに再三再四悩まされているのでこのつらさはよくわかります。

このつらさを言葉で表すと「このこだわりがなくなったら世界の均衡が崩れてしまう!!」という感覚でしょうか(伝わってくださればうれしいです!)。

単語で表すなら「均衡、平衡、一点の曇りもない、(こだわりのあることに関して)知らないことはない、完璧、完全、絶対」などでしょうか。

こういうところが「ASDの人は研究者に向いている」と言われるゆえんなんでしょうか。(←もちろん人によります。)

 

こだわりを理屈で解決しようとしても、それ以上の理屈をもってきてこだわりを正当化してしまうので理屈を使って説き伏せる戦法はどうやら僕には無理みたいです。

いろいろこだわりを対処するための方法はありますが、今回紹介したいのは「そのこだわりを捨てても普通に生きていけることを肌身で実感すること」です。

こだわりを捨てると、自分の中が不完全になり、自分の中に不確定要素があることに対して恐怖するかもしれませんが、それでも普通に生きていけます。

恐怖しているからといって、こだわり続けていればいつまでたっても捨て去ることはできませんが、一度何かの拍子でこだわりを忘れて少しの期間過ごすことができれば、少しずつでもこだわりなしでも生きていけることを実感できると思います。

「生きやすさ」と「身軽さ」は密接に関係している

身体にまとわりついているこだわりが多ければ多いほど身動きが取れなくなり、生きづらくなります。

そういう意味で僕は「生きやすさ」と「身軽さ」は密接に関係していると思っています。

特性上こだわりを完全に消してしまうことはできませんし、どれだけこだわりを消しても生きていけると頭でわかっていても「不完全の恐怖」は襲ってきます。

それでも僕は少しでも生きやすさを感じたいのでこだわりを捨てる努力はしていきます。

 

今日のブログは以上です。

今日もよろしくお願いします。