「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「こだわり思考」について

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 「正しさ」、「完璧さ」、「普通」にとらわれてしまう。特に「正しさ」。

ASD自閉症の傾向がある人は特に共感していただけるかと思います。

僕は昔から「正しさ」にとらわれつづけていました。

正しい考え、正しい行為、正しい人としての在り方・・・

拘ったらキリがないとわかっているのに拘ってしまうのがつらいところなんですよね。

 

過去に「僕は母親に言葉遣いを過度に矯正させられる」といった内容のブログを書きました。

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この影響が今でも残っているからか、「単語の意味」や文法ってのを過度に意識してとてもつらい状況にあります。

僕の思いとしてはテキトーな言葉遣いでもそれで伝わってりゃなんでもいいという思いなんですが、自分を縛り付けている心の声が「そんなんじゃだめだ。きちんと文法通りの正しい言葉遣いをしろお!!」と言ってきて僕を締め付けてくるんです。

これが本当にとてもつらいわけです。

 

こういう拘りで悩む場合でたちが悪いのが、行き過ぎてしまうと「完璧にならない自分なんかは価値がない!」と思ってしまうことなんですよね・・・・

そもそも冷静に考えれば何をもって完璧というのか、何が完璧かなんて、それすら僕はわかってないんですけどね。

 

ここまでは僕のこだわり思考の中身について書いてきました。

ここからは僕が具体的にどんな時にこだわりモードに入るかを書きたいと思います。

(こだわり以外にもモヤモヤモードなんかも含まれますね。こういうことを逐一各あたりも完璧思考が働いているのかもしれません。)

自分の理屈や、論理がわかってもらえないとき

僕は自分が納得したことなら他人も絶対に納得するだろう!という強い思い込みがあります。

しかし当然ですが自分にとっては正しいことでも、相手にとってはそうではないことなんて世の中いくらでもあります。

このとき僕はすごくこだわっていまいます。

なんでだ!なんで!なぜ俺の正しさが伝わらない!という風に。

はたから見ればひとり相撲で勝手に苦しんでいるだけなんですが、当人からすれば必死です。

自分の理屈や論理、考えが伝わらず相手に否定されたと感じた日にゃこの世の終わりかというくらい気が狂いそうになります。

 

すごくシンプルに金子みすゞさんの詩の「みんな違って、みんないい」と割り切ることができれば一瞬で楽になれるんでしょうけどね。

なかなか難しいです。

ルールや規範からずれたとき

ASDの多くの人はルールや規則をすごく厳密に守る傾向があると言われています。

この感覚はすごく共感できて、僕はルールを守ることを一つの快感としてとらえている節があります。

別に快感と捉えるかどうかはいいんですが、このカオスな世の中、ルールを守らずなあなあでうまいこといってることなんて山ほどあります。

それを禁止して全部厳格にルール通りに!なんてすると生きづらくて仕方ありません。

ルールや規範なんてのはテキトーに従うくらいがちょうどいいのかもしれません。

 

 

以上僕のこだわり思考についてでした。

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^

 

 

※何回か過去に「こだわり思考」についても書いてあるのでよければそちらも読んでいただければと思います^^

 

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