「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

話せることもあれば、話せないこともある、人はそれぞれ

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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僕は人に話せることもたくさんあれば、話せないこともたくさんある

よく世間では、「なんでも人に相談しなさい」「抱え込まずに人に話すことが大切」と言われます。

僕は自分では割と悩みは人に話すほうだと思っています。学生時代の友達からは、「tigubaguは何でも人に相談できてすごいな。人に相談できるってのは強みやからなあ。俺はプライドが高くてなかなか人に相談できん。」と言ってもらったこともあります。

ただ僕は自分では、まだまだ話せないこともたくさんありますし、話すことと話さないことを僕はわけています。

 

話すこと

じゃあ具体的にどんなことを人に話すかというと、おおざっぱに区切るなら、

「他者がかかわった悩みや相談事」

は全力で人に話すようにしています。

職場の同僚とそりが合わなくなり会社に行きづらくなった、

親との関係がいつまでたっても改善されない、

知り合いと金銭トラブルに巻き込まれた、、

 

などなどこれらのことは人に話しますね。

「人で生じた問題は、人で解決する」

っていう感じですね。

 

ほかにも、相談するとするならば、

自分の体のこと

自分の特性のこと

 

も話しますね。

 

で、ポイントなのが、話す際には、自分の悩んでいることを具体的に紙に書き出してそれを見ながら話していく、というスタイルをおすすめします。

自分のことって、自分ですらよくわかっていないってことがほとんどです。だからこそ紙に書き出して視覚化することは、自分の思考を整理するという意味でも大切です。

 

そしてここも重要ポイントなのですが、話す人をきちんと見極めること、も大切です。もちろん身近にいる家族や恋人、友人に話せれば一番いいのでしょうけれど、往々にして信頼してた人に話したけれどわかってもらえず理解を示してもらえなかった、ということがよくあります。

理解を示してもらえなかっただけならまだしも、そこから追い打ちをかけるように説教されたり、お前は弱い奴だと叱責されたらもはや相談したことすら呪いたくなります。

 

そうならないためにも重要な相談事ほどプロに相談すること、をおすすめします。

プロというのはカウンセリングだったり、心療内科だったり、きちんと話をきいてくれて、守秘義務が守られ、解決することを一番としてくれるところです。

で、やはり金銭が発生するほうが相談されるほうにも責任が伴いますので、こういう自分の重要な相談事には金銭惜しまないほうが結果的にはいいと僕は思っています。

 

もちろんこれらプロの中でもあたりはずれはありますので、選ぶ際も口コミや人気度をみて考慮してみてください。

 

話さないこと

ここからは逆に僕が人に相談したほうがいいよ~といわれても「これは俺の問題だから話さない。話したらつらくなる。」って思っていることを書きます。

 

過去の記事でも書きましたが僕は小さいころから哲学的な問いがずっと気になってました。いくつかを挙げるなら、、

 

  • 言葉の意味とは?
  • なぜ人はコミュニケーションをとることができるのか?
  • 「絶対」は「絶対」に存在しないのか?
  • 言葉に意味なんてなくて、あるのは「音」と「光(文字)」だけじゃないの?意味ってのは人間が後天的につけたものじゃないの?
  • 自分に「心」なんてあるの?他者に「心」なんてあるの?いや、そもそも「心」なんてもの自体がすでにしょせんは言葉から作られた幻想にすぎないのでは?

などなどです。

 

こういうことを話してもほぼすべての人が、「難しいこと考えてるんだな~」で済ませてしまいます。

しかし僕にとっては難しいことでもなんでもなく、ただただ疑問や違和感をもったことをずっと抱え続けてるだけなんですね。

(ちなみにこの僕のような問いを抱えている人のことを哲学者の中島義道は「哲学病」、永井均は「<こども>の問いをもった大人」と呼んでいます。)

(もちろんかなりの部分で、ASDの特性の一つである抽象的なことに拘ってしまう、っていう影響が強いですね。)

 

決して勘違いしてほしくないのは、こういう問いを持っているからと言って頭がいいわけじゃないんです。

僕勉強全然できないですし、高校も途中から行ってません。

ただこういう疑問を自分なりに本読んだり、頭使ってノートに書き表してみたりしてるだけなんですね。

 

で、一時期はこれらの問いをずっと考え続けて日常生活にも支障がでてきてたのでカウンセラーにも相談したんですが、なかなか問いをわかってもらえず、余計につらい思いをしました。

だからこそ僕はこれらの問いに関することは自分で処理しようと思いましたし、自分で処理しないとやってけねえ!と心に決めました。

 

とはいえ、最近では読書会や哲学カフェなんかがね巷では人気になりつつあったりしてるんで少しずつ話せる場はできてきました。それに僕のこういう話をききたいといってくださる人もぽつぽつと出てきてありがたい限りです。

 

まとめ

まとめの言葉として、

「話さなくてもいいこと、話せないことだって当然ある。そのことに悩まなくてもいい。」

ってことですね。

 

ほんと現代はなんでもかんでも人に相談しろ~!抱え込むな~!って言われますけど、自分でじっくり考え自分と向き合うこともとても大切ですからね!

 

自分が楽な道を歩んでください^^

 

今日一日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!