「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

徒然なる読書日記 part5 青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』

こんにちは^^

tigubagu (@tigubagu0123) | Twitter

です^^

昨晩ツイキャスに来てくださった方々本当にありがとうございます

自分も、一緒にやった仲間もまだまだツイキャスには不慣れなもので段取りの悪さなどが目についたとは思いますが、これからもやっていきますのでその際はぜひおききください!

 

今日のテーマ

 

さてさて今日のテーマは、、、

徒然なる読書日記 part5

(前回のpart4はいかにリンクを貼っておきます。)

 

www.dotama-kotoba.com

 

part5を飾る本はこちら!

山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』

 

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

 

 

この本は一言でいうと、とにかく「「幸福」について考え抜かれて」います(それはタイトルからわかるよ!!ってか笑)

 

幸福とは何か、どのようにしたら幸福になれるのか、そしてなぜ幸福になるべきなのか。

 

1番と2番の問いは僕もよく考えることがあるんですが、3つめの「なぜ幸福になるべきか」は少し形が違う問いのような気がします。

 

なぜなら僕たち人間にとって、「幸福になることはいわば当然のこと」だと思われているからです。

 

さあ、この問いに著者の青山さんはどのように回答するのでしょうか!?

 

 

はい、その答えは皆様各自でお確かめください笑

 

今回のブログではですね、いつものように僕tigubaguがとても惹かれた1節を引用して僕の考えとともに述べたいと思います。

 

 

たった一つだけ、小さな子どもに人生訓を伝えられるとしたら、何を選ぶでしょうか。個人的な趣味ですが、私は「一つずつ」やることを伝えます。遊びであれ、用事であれ、今やっていることを一つずつやることは、実はものすごく難しいことで、それさえできれば多くの問題が自然に解消するくらいです。いらいらや、不注意や、落ち着きのなさや、ひとに八つ当たりをする癖などが。

 

小さな子供が集まって個別に遊んでいる場面を見てみると、遊びでさえ、いま自分がやっていることに集中できない子どもがいることがわかります。ほかの子どもがやっていることが気になり、ひとのおもちゃを取ろうとしたりするのです。歳をとるとともに単純なおもちゃの取り合いなどは減りますが、今度はもっと微妙な仕方で、ひとのやっていることに介入してきます。ひとの遊びを、「手伝ってあげたり」、遊び方の間違いを「教えてあげたり」して、そこからケンカが始まるのです。

 

僕は特性の影響もあるのですが、とにかく一つのことに集中して、することがとても苦手です。

何か一つのことをやっていてもすぐに「あれはやらなくても大丈夫かな」、「うう、、不安な気持ちが押し寄せてくる」とか、「あ~Twitterの更新きになるなあ」「お腹減ったなあ。ごはん食べようかな」などなどほんとに関係のないことばかりを考えてしまいます。

 

考えだけならまだしも、実際にTwitterが気になるからといいスマホを見てしまったり、お腹減ったってことでご飯を食べにいったりして、いまやっていることが中断されることもしょっちゅうです。

 

よせばいいのにTwitterなんか見てしまうからほかのこともどんどん気になって、さらに今やっていることに手が回らなくなっていく。。。

 

Twitterをみて嫉妬するのをやめたい!じゃなくて、もう最初からTwitterを見ない。

今目の前にあることに集中する。

 

しかし集中するとはいっても、これが本当に難しい。

集中するためのいい方法を著者の青山さんは以下のように述べています。

 

1日、1時間、1分のような、時間のまとまりがあることは幸いです。これらを箱のように使って、「いまはこの箱のなかのことだけをする」といった具合に、意識の範囲を狭められるからです。一つずつ物事をすることは、後悔や不安などを見て見ぬふりすることではありません。もし、何らかの負の感情を直視しておく必要を感じたら、きちんとそのための時間の箱を作って、その中で作業をすればいいのです。

 

要は「時間をきめて、時間内は一つのことだけをする」ってことですね。

 

で、その時間内に作業をしているときに、いろいろ不安な思いがでてきたら「それに関しては別の時間で考える、対処する」という風に無視するのではなく、不安には不安のための時間を用意しておくということですね。

 

こうした分別作業を終えて現在の箱に何かが入っていたら、それを一つずつ、たんたんとやります。しかし実際に分別をしてみると、現在の箱が思った以上に空になるのに驚くかもしれません。例えば、なんとなく不安だったことがらが、昨日終わったことと明日やることにすべて分別され、とりあえず今日はその不安から離れられることができるかもしれません。

 

これは後で考える。これは今だな。という風にきっちりと思考の分別をすると、今現在やるべきこと(考えるべきこと)がはっきりとわかります。

 

もちろん、きちんと分別をした後でも、過去や未来の箱に入れたものが頭に浮かんでくることはあります。そうしたときは無理に消そうとせず、無害なオバケとして放っておき、別のことをするのが良いようです。

 

ここはノートになんども書き写したくらい大切だと思っている箇所です。

 

どんなに今やるべきことがわかったって気持ちですから、不安や恐れ、ほかのことしたいな、なんて思いがでてくることはしょっちゅうです。

 

そんなときは、その不安や、欲望に意識をフォーカスさせない。無視してしまう。

これが一番です。

 

不安も気にし始めたらどんどん大きくなりますからね。

 

そして何より、目の前のことに集中する。自分が今やっていることだけをやることはなにより「幸福」になるための最善の方法なのです。

 

もし、すべての大人たちが今やっていることを一つずつやったなら、もめごとはずっと減るでしょうし、各人の充足感は増すでしょう。というのも、目の前の作業に専念できれば、過去への後悔や未来への不安、他人との比較や他人への怒り等から心が離れ、良い意味での狭い意識のもとで、一つの作業を味わえるからです。

 

さて、僕もブログを書くときは、「今はブログを書く時間!」と決めてきちっとやってます!(た、たぶん!💦)

 

 

今回は以上です!

では、また次のブログでお会いしましょう!