人間関係は傷ついて当たり前
おはようございます^^
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
僕は、
「人間関係というのは傷ついて当たり前」と思うようにしています。
なぜそう思うのか。
人間というのは、「たった一人の自分」と「それ以外の大多数の他者」でできています。
この他者もみんな一人一人が全く違った人間です。
この世界には70億通りの人間がいる、ということになります。
一人一人の違い方は、
「見ている世界(世界の認識の仕方)」から「モノの考え方」から、「価値観」までありとあらゆることが違います。
そんな違う人同士が少しでも他者に自分のことを伝えるために、逆に他者のことを知ろうとするうえで行われる行為がコミュニケーションです。
(「コミュニケーションとは何か?」という問いはこれまたとんでも問いです。実際学問の世界でもコミュニケーションについてたくさんの説があったり、考えがあったりします。
実際「相手に自分の考えを伝えることがコミュニケーションだ」とよく言われますが、じゃあ果たして現実になにが相手に伝わっているのでしょうか?どうすれば伝わったとわかるのでしょうか?
その人に伝わったことを言ってもらえばいい、と言いますが相手が嘘をついている可能性もありますし、なによりてきとーにしゃべっている可能性だって否定できません。
僕は別にそこらへんのパンピーですので深い考えをすることは苦手ですがコミュニケーションについての奥深さは感じているつもりです。)
そしてそんな自分とは違う相手とコミュニケーションをするのですからうまくいかなくて当然なのです。
多くの人は(多くの日本人は)外国人と話すときは自分の意見が伝わっているかどうかすごく不安になるといいます。
しかし同じ国の、しかも同じ言葉を話し、顔たちも似ているとなると、すぐに「言わなくてもわかってくれるはずだ」、「きっとこうしてくれるだろう」といった思いを抱きがちになってしまうのです。
とはいえ実際は同じ国の人だろうが、遠い外国の人だろうが根本は同じなのです。
どんな人間であれ自分とは全く違う他者という存在なのです。
ですので当然同じ日本人同士でも伝わらないことはしょっちゅうありますし、
心無い言葉を言われることなんかも日常茶飯事です。
どうしてわかってくれないの!なんてことは今もどこかで誰かが思っています。
それでも言葉にし、伝えていくしかない
僕は「人間関係は傷ついて当たり前」という考えからもう一歩進んで、
「コミュニケーションは伝わっているかどうかなんてのはわからない。それでも言葉を発し続けるしかない。」
と思っています。
さきほどの()の中でも書いたようにコミュニケーションをしていても実際相手には何がどう伝わっているのかは究極にはわかりません。
そしてみんなこの「伝わっているかどうかわからない」ことに言語化はしきらなくてもうすうす気づいているからこそある種の不安を抱き、その不安を解消するために常にだれかとつながっていたいと思っているんじゃないか、と僕は考えています。
みんなおそらくは自分という存在は究極的には一人なんだということに感覚ではわかっていると思うんです。
しかしそのことに目をやると途方もなく恐ろしく不安になるからその部分に目を向けていないだけだと思うんです。
僕もずっと相手に僕の言葉が伝わっているかどうかわからずに不安を抱き続けていました。
過去形で一応書いていますが今もしょっちゅう感じています。
じゃあもうコミュニケーションなんかに意味はないのか!?と言われるとそうではありません。
僕は伝わる、伝わらないよりも深い次元として、
このように言葉で相手と交わる、相手に何かを伝えようと試みる、このこと自体が大切なことだと思っています。
難しいことはわかりませんが、僕は人間が人間らしくあることの一つに言語を使い相手に意思を伝えようと試みることがあると思っています。
だからこそ人間である限り、他者と意思疎通を試みないなんてことはできないわけです。
意思疎通がうまく行く、うまく行かないなんていうのは言うなれば2の次の話です。
一番大切なことは、相手とコミュニケーションを取ろうとし実践すること。
これだけです。
全然話が通じない人ばかりかもしれません、言っていることをくみ取ってもらえない人ばかりかもしれません。
それでも言葉にし、伝え続けることが人間らしくあるためには必要なことだと思っています。
今日のブログは以上です^^
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!