「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

ネガティブのいいところ

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

https://twitter.com/tigubagu0123

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 人には見せないネガティブ

普段すごく明るいけど、根っこの部分はすごく人見知りで無理をしているという人って今の世の中すごく多いと思うんですよね。

芸能人の人でもテレビに出るときは明るいけど、家に帰ると超絶ネクラって人多いです。

 

何を隠そう僕tigubaguもごたぶんにもれずそういうタイプです。

人前ではできる範囲で明るく振舞うようにはしています。

これにはいろいろと理由はあるのですが、まず暗く接してしまうとせっかく僕のために時間を割いてもらっている相手に悪いなという意識からです。

そして暗いまま接していると僕だけじゃなく相手も暗くなってしまうという共倒れの状況が発生するからです。

 

だから僕は人前では基本明るく振舞うのですが、

家で一人でいる大半の時間僕は超ネガティブです笑

まあ暗いこと、縁起でもないこと、悪いこといろいろ考えては俺ってまあネガティブだな~って思ってます。

ざっとそのネガティブな考えを書くと・・・、

  • はあ、俺は平日の昼間から家で一人で就労支援の勉強・・。ずっと人と面と向かって話していない。もう嫌になる。死のうかな。
  • 地球に隕石衝突して何もかも終わりになんねえかなあ・・・
  • このさきどうなるんだろうなあ。。ずっとこのままなのかなあ・・もう死のうかなあ。
  • なんで俺こんなにも細かいこと考えてんだろ。気にしてんだろ。なんもかんもが嫌になる。
  • 街中で家族連れ、友達、恋人同士・・・俺は一人本屋で本を買う。さっみし~。もう嫌になる。(家帰って読む本は面白いけど)
  • 部屋の中もぐちゃぐちゃ、押し入れの中もぐちゃぐちゃ、机の中もぐちゃぐちゃ、片付けできない。。嫌になる。

と、自分で書いてて憂鬱な気分になるくらいネガティブです笑

 

太宰治人間失格に以下の文章があります。

人間に対して、いつも恐怖におののき、また、人間として自分の言動に自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 ネガティブなくらい自分は人に見せることができず、人に見せる自分は暗さなんて一つもない明るい自分、

そんなコントラストからの葛藤がひしひしと伝わってくる文章です。

 

僕はネガティブな部分も全部外に出して受け入れてもらわないとダメだ!とは思いません。

もちろん受け入れてくれる人たちが周りにいるのならそれはとても幸福なことです。

「素の自分」なるものを受け入れてもらおうと必死にがんばることもそれはそれで人間関係を作るうえでは重要なことかもしれません。

ただそうやってネガティブな自分も外に出しわかって!わかって!と押し付けてもなかなか相手はそれを受け入れてはくれません。それが現実です。

そして受け入れてもらえないと余計につらい思いをするだけです。

 

ですので僕はまずは、ネガティブな自分を自分自身が受容することがたいせつなのでは、と考えました。

すんなりと受容できるための方法として「ネガティブのいいところを探す」という方法を今回は紹介します。

僕tigubaguが考えるネガティブのいいところを以下に書いていきます。

ネガティブのいいところ① 何事にも慎重になれる

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ネガティブだと、何かをする際に「本当にこれでいいのかな?」と無意識にチェックしてしまいます。

僕はいつもネガティブがゆえに(ネガティブ以外の理由もあるとは思いますが)「俺の人生これでいいのかな?」という思いがいつまでたっても消えません。

うまくいっていないときはもちろんのことながら、調子のいいときも頭の片隅で羽後撒いています。

こんなとき「ああああ、どうしようどうしよう💦!」と焦る方向にもっていくのではなく、

「本当にこれでいいのか? では、なぜそう思う? そしてもしよくなかったとしたらどうすればよい方向に持っていける?」

こう考えるようにするとネガティブが一気に自分の人生をよりよくするスキルに変わります。

 

いつもこのブログでは書いていますがこんな風に自分の悩みごと、内面のこと、人生のことを書くときはペンでノートに実際に書き出すことを僕はずっとおすすめしています。

もっと具体的にかくなら今回の場合なら「本当にこれでいいのか?」と感じたら、

  • なぜそう思うのか?(ネガティブだから 以外の具体的な理由をなんとか探すこと)
  • どうすればよくなるのか
  • そして自分は結局どうしたいのか?

の3つに絞り紙に書き出してみます。

特に3番目の「自分はどうしたいのか?」は常に心にとどめておいて書くことがポイントです。

ついつい書いていると、いろいろと今度は言葉が出てきすぎてぐちゃぐちゃになることがあるので「自分はどうしたいのか?」を心にとめ指針としてください。

それと時間を10分と測って行うこともおすすめします。

時間を測りその時間の中だけで悩み、考える。

メリハリは大切です。

 

僕の場合の「ネガティブゆえの慎重」はこんな感じです。

ネガティブのいいところ②疑い深くなり、モノゴトを多面的に見れる

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ネガティブになると、人に対して疑い深くなります。

本当にいい人なのか?

言っていることは正しいのか?

 

しかし「人を知る」、ということに対して人を疑うことは決して悪いことではありません。

僕の好きな漫画『ライアーゲーム』において秋山の言った次のコメントが僕は大好きです。

人は 疑うべきだよ !? 多くの人は誤解している 「人を疑う」とは つまり その人間を知ろうとする行為 「信じる」 その行為は紛れもなく高尚な事だ… だがね 多くの人間が「信じる」の名の下に やってる行為は実は 他人を知る事の放棄 言い替えれば 無関心……だ

 信じている・・のではなくそのほとんどが無関心ゆえに他者に対しての知ることを放棄しているんですね。

僕も関わってきた人の中でネガティブな人ほど、他者を疑い考えているなと感じています。

そういう意味でネガティブで人を信じられないというのは決して悪いことではなく、むしろ人を知るためには必要不可欠な行為なんです。

 

 

 

今日のブログは以上です。

皆まさに少しでもネガティブのメリットが伝わってくだされば幸いです^^

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^