「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「言い訳」をしない

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

https://twitter.com/tigubagu0123

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 「悩んでうじうじ」はすべて行動しないための言い訳と考える

僕はとにかく悩み男です。

うじうじうじうじ考える男です。

答えのでることなんてほとんどなく哲学的な(そんな高尚なものではないですがとりあえずこの言葉を使っています。)ことをああでもないこうでもないと思索しています。

それだけならまだしもひどいときは、すっきりしないからとか、モヤモヤにこだわってしまい時間をいたずらに消費してしまうこともしょっちゅうです。

 

で、こうなると僕はするべきことができなくなります。

そりゃそうですよね。考えすぎてそっちにばかり意識が向くのですから。

するべきことができず、日常生活が思考一辺倒の頭でっかちな毎日になると、すぐに「なんで生きてんだろ?」、「なんのために生きるんだろ?」、「死んだらどうなるのかな?」などの思考に行きつきます。

結果として、家事がからきしできなかったり、考えすぎで眠れず次の日の就労の授業に出れなかったり、散々です。

 

こうなると僕は「考えすぎやけん行動に移せんとたい!!」

と言って、なんとかして考えすぎを治そうとします。

しかし考えすぎの人ならわかってくれると思うんですが、これってうまくいかないんですよね。

考えすぎは意思の力でどうにかなるものじゃないんですよね。

で、これに気づかず意志の力で考えないようにし続けていると、いつしか行動できないいいわけとして「考えすぎてしまうから」と設定してしまいます。

 

僕の経験上こうやって考えすぎを言い訳にして、ずっと悶々としていたらいつまでたっても動けません。

解決策は、「言い訳するな、動け」。

これだけです。

言葉にするとめちゃくちゃ簡単ですが、実際するとなると超絶むずかしいのは皆さんもわかってくれるかと思います。

動くたびに思考が頭の中で暴れるんです。

その思考をどう抑えて、行動につなげるかがキーなんですが、これも実際に行動に起こして体感として学んでいくしかないです。

習うより慣れろです。

 

このように書くと、「本当に動きたくても動けない人もいるぞ!」という人もいます。

もちろんわかっています。

この「言い訳するな、動け」というのはほかの誰でもない、僕が僕に対して言っている言葉なのです。

だからそもそもこのブログでこのように記事にするのもおかしいのかもしれませんが、僕は自分が行動を起こさないときに言い訳を用意したくないと思っているんです。

言い訳をするくらいなら、そもそもそこまでやりたいことではない。

言い訳をしてうじうじしたくはないんですね。

自分のための言葉です。

言い訳しても、共感同情はされても、だれも助けてはくれない

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自分の今の現状を嘆いても、

考えすぎな性格で動けないんですよ~と叫んでも、

「それはつらいよね」とは言ってはくれてもだれもその考えすぎを消してくれるわけじゃありません。

誰も僕の代わりに僕の生活をやってくれるわけではありません。

僕の生きづらさを解消してくれるわけではありません。

 

生きるというのは本当に大変です。

誰かが何かをしてくれると期待してもそれは一向にこないでしょう。

もし誰かに何かをしてもらいたければ自分から行動を起こし、頭をさげなければいけません。頼み込まなければいけません。

考えすぎだろうが、何も考えてなかろうが、社会はそんなこと知ったこっちゃねえって言います。

逆に自分に何の取り柄はないと思っているがゆえに一生懸命行動に起こし、自分を表現していれば、誰かが必ず見てくれています。

 

最近僕は自分自身に対していい意味で「甘えるな」と言っています。

甘えるなって言葉は谷社から言われるとすごく腹が立つんですけど、自分が言い聞かせるときは(もちろん甘やかすときも十分ありますが)、すごく力になるんです。

自分の力を頼れよ、みたいな感じで。

 

誰の人生か?

僕の人生です。

自分を頼れず、だれを頼るのか。

自分を頼ります。

 

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^