「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

勉強に孤独はつきものたい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

https://twitter.com/tigubagu0123

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 孤独にならないと勉強はできない

当然ですが、友達とわいわい騒ぎながら勉強することはできません。

彼氏彼女とイチャイチャしながらも勉強はできません。

SNSを見ながらも勉強で、できるけれど、勉強したと果たして言えるのでしょうか。

 

そう、勉強とは孤独にならないとできないのです。

僕が改めて言うまでもなくすごく当たり前のことなんですけどね。

僕自身孤独だからこそ勉強(僕の場合は読書というスタイルを取ることが多いですが)できているのだと思っています。

隣に誰かがいたり、テストなどで競う合う仲間がいるほうがいい、という人も多いのでしょうけれど僕は逆で、一人で黙々と武者修行のように勉強するスタイルが性に合っています。

今の就労支援でのプログラミングの勉強が僕のスタイルに合っているなと感じるのは、普段は黙々と一人で勉強できるのですが、困ったことがあればすぐに質問、相談できる人が身近にいることがとてもありがたいなと感じるからです。

 

勉強を継続するには孤独とどう向き合うかを問われる

勉強を続けるというのはそれだけ孤独な期間が続くということです。

ただ今僕が言っている勉強というのは、「社会人になってからの勉強」なので、今現在学生で周りに勉強仲間もたくさんいるという方はその方たちと切磋琢磨して頑張ってください。

社会人になって日々仕事以外の時間を自分に知識をつける時間にあてたり、考えたいことを考えるための力をつけるため読書をしたり、なんかしていると当然ですけれど1瞬で孤独になります。

もちろん人付き合いがよく勉強、読書もほどほどでいいかなという方は飲み会も参加し、暇なときに勉強しよ~って感じでうまいことで来ているんだと思います。

しかし本当に勉強や読書を毎日の習慣にして、ある程度時間を確保するのであれば当然孤独になる必要があります。

それを苦とは思わず、受け入れられる人ではないと勉強の継続は難しいです。

 

勉強すればするほど周りと話が合わなくなってくる

これもかなり最初は精神的に来るものがありますね。

僕の場合はずっと読書をしつづけていると、極論を言うと読書を全くしない人とは会話のネタがすぐにつきます。

具体的に書くなら当たり障りのない話しかできないんですよね。

で、往々にしてそういった会話が僕にとっては全く楽しくないんです。(別に意識高いとかそういうわけではなく、ただ楽しくないんです)

なにか深く人生について考えたり、抱えている漠然とした恐怖やモヤモヤを話してもそこから何も話が広がらないんですね。

もちろんただ聞いてもらえるだけでいい、という人もいます。

しかしただ聞く、というのも僕は結構難しいことだと思っていて、相手が何を言いたいかを瞬時につかみ取らなければならないんです。

これって読書をするときに顕著なんですが、この筆者はこの章や節で何を言いたいんだろうかと意識しながら読むことに似てるんですよね。

それゆえに話を聴いてもらってよかったなと思うのは、自分が何かを話し、それに対して自分では気づけなかった視点に気づかせてくれてたときなんかですね。

 

そしてもう一つ勉強すれば話が合わなくなる理由は、「勉強すれば自分なりの考えがどんどんついていくから」だと僕は感じています。

もちろんその自分なりの考えというものは勉強を続けていくことにより刷新されるものであるんですが、人と話をして変わるということはほとんどないんですね。

そしてもっというと相手も自分なりに勉強している場合多くが「正しさの押し付け合い」になって会話が全く楽しくなくなるんです。

その相手からの理論と、自分なりの理論がぶつかり合うのが僕はすごく嫌なんです。

(この感じが好きだという人も世の中には多いみたいですが💦)

 

そういう意味でも勉強というのは真に孤独に一人でたんたんとすることだと僕は考えています。

そしてたまに自分の話を受け入れて聞いてくれてそこに新たな気付きを与えてくださる人に出会えれば万々歳です。

 

自分で自分を受容する

孤独を受け入れ、勉強や読書に励むための秘訣は、

「自分で自分を受け入れること」だと僕は考えています。

自分のやり方、自分の理解度、自分の知識度、それらを人と比較することなく、自分で得たものなんだからまずはそれらに自信を持つ!とでもいいましょうかね。

どうしてもこの理解でいいのか、こんなんでいいのか、と不安になります。

しかしそれでも進んでみる。

もっというと僕が言う勉強の意義は、分の得た理解でどう世界を解釈していくか、その方法を身に着けることにある、といっても過言ではありません。

 

そういう意味では人と比較することが当然な受験勉強と、僕の言っている勉強は一線を画するものになります。

 

自分の興味のあることだけをやっていい

あえて言いますが、僕は勉強なんてのは「自分の好きなことを興味の赴くままに好きなようにすればいい」と思っています。

それゆえに、好きなように好きなやり方で勉強をしたら当然その得た知識や考え方を他者に披露した時に間違いを指摘されることもあるかと思います。

しかしそれでいいのです。

間違えて当然なんです。

間違いなんてのはいわば相対的なもので、その人にとっての僕が間違いに映っただけにすぎないんです。

間違いを指摘されても、自分とあなたは違う人が再確認できました^^

くらいにとどめておくのが吉です。

勉強は自分がこの世界を自由に、楽しく、わたるためにするものです。

いやいやさせられるものでは決してないです。

 

 

今日のブログは以上です。

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^