ああ、人見知り・・!!
おはようございます!
こんにちは。こんばんは。
tigubaguこと桂木大輝です。
(https://twitter.com/tigubagu0123)
とにかく人見知り
僕はとにかく人見知りだ。
とにもかくにも、何を隠そう、十中八九(いや十中十十)人見知りだ。
よく「人前でも話せて、はきはきと話すのに人見知り!?」と言われるが、人見知りだ。
以下僕の人生のバイブルの一冊オードリー若林正恭著『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』から一部引用してみた。
人嫌いと人見知りは違う。本当は人に近づきたい、でも近づいて嫌われたくないという自意識過剰な人が人見知りになる。人見知りの人は周りに人が少ないから孤独感を勝手に抱き始める。そうなると誰かに理解して承認してもらいたくなる。承認欲求が芽生えると表現なんぞを始める。だから、意外と重度の人見知りこそいけしゃあしゃあと人前に出て表現したりするものなのだ。
そう!まさにそう!
人見知りと人嫌いは違う!!
自分をわかってほしい、理解してほしいと切に願っているからこそ、人前にいけしゃあしゃあと立てるんだ。(特に僕はそうだ。)
人見知り界での王オードリー若林さん、さすが格が違うぜ。
実際人と話すときどうなるのか。
実際人と話すとき、とくに初対面の人と話すときなんかはとにかく緊張する。
まず相手の目が見れない。
これは何も異性だけじゃなく、同性でもそう。
老若男女関係なく、緊張して話すと相手の目が見れない。
ずっと下を向いている。
とある本に「相手の目が見れないときは、相手の鼻を見るといい」と書いてあり試してみたところ、今度は「相手に鼻を見ているな」と気づかれて変な印象を抱かせないだろうか、と今度はそっちのほうが気になってしまった。
緊張する理由の大きな原因としては、「何を話していいかわからない」ってことだ。
僕は発達障害の特性として、ASDってのがあって、これがかなり強めなタイプである。で、ASDが強いってのは言い換えるとこだわりが強いってなもんで、まあこれがやっかいなわけだ。
僕は自分の興味のある話しか、話すことができないし、聞くこともできない。
なんとも不便である。
「聞くこと」ってのはもちろん「音を聞くことはできる」けど、返答が、「ほう、なるほど、すごいですね」と中川家の漫才で使われていたこの3つのフレーズしか出てこない。(中川家のたとえ伝われ)
時には頑張って、自分なりの感想を言ってみるもどこか的を外しているのか、相手はいつもあいまいな顔をしている。
人が怖い。
特性の影響か。とにかく僕は子どものころから怒られてきた。
○○してはダメ。○○しなさい。
なんどもなんども言われてきた。
今でも仕事などで、「それはよくないですね」なんて言われると、それだけでものすごく落ち込む。
大したことはない。そう頭ではわかってるんだ。相手も僕を苦しめたいわけじゃないし、そもそも怒ってすらない。
でもそれでも。僕は人と関わりたい。
それでも僕は人が嫌いじゃない。ただ苦手なだけなんだ。
ひきこもり経験、ほとんど友達のいなかった大学時代、これらを通して、僕は
「ああ、ずっと人と関わりたかったんだな。でもその方法をずっと知らなかったんだな」ってことに気づいた。
今は僕は初対面の人にもなるべくすぐに「僕超絶人見知りなんで」ということをカミングアウトしている。
そっちのほうがこっちの気が楽だし、相手もわかったうえでの対応が取れる。
どうやって人と良好な関係を築けるのか、いやそもそも僕にとっての良好な関係とはなんなのか、そんなのまだまだわからないけれど、僕が人と関係を持つことに「希望を持っていること」は確かだ。
希望、というか楽観的というか詳しくはなんというのかわからないけれど、「苦手でもある程度は慣れでなんとかなるよ~」くらいには構えている。
最近就労でも少しずつ人と話せるようにはなってきた。
天気の話、髪切った話、病院に行った話、世間話をできるってのはものすごく人間関係を築いていくのに必須なツールだったんだな。
人とたくさん話したあとは夜になってもさほど不安が襲ってこない。
やっぱり人は一人では生きていけない。
人見知りのテーマは結構書きたいことがあるのでまた書きます。
今日も皆様の一日が良き日となりますように^^
ではまた!!