「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

生きるしかねえんだ。 死にたいと生きたい

こんにちは^^

tigubagu(https://twitter.com/tigubagu0123)です。

6月になりましたね^^

6月は梅雨と、暑さでやられるのは目に見えているので「ひきこもるが勝ち」ですね笑

 

さてさて今日のテーマは、、

生きるしかねえんだ。

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思い返せば不思議なものだ。

 

別に頼んだわけでもないのに気が付けばこの地球上に生を受けている。

 

頼んでもいないのに、だ。

 

で、またこの生、生きるってのはかなりやっかいで一筋縄ではいかない。

 

ことあるごとに難所が設置されてあって、デフォルト設定でそうなってんのかは知らないけれどその難所にぶち当たるように設定されてある。

この難所を超えるのがまあ大変なわけだ。

生きる力、まあ生命力と言ってもいいけれど、この難所ってやつは俺たちの生命力を鬼のように奪い去っていく。

しかもしかも順番がむちゃくちゃなんだ。

物語開始、ゲームスタート時点でいきなりラスボスレベルのやつがバンバンでてきてまじで嫌になってくる。

 

でさ、じゃあもう生きるのやめまーす。と簡単に「生きる」ステージから離脱することもできないんだ。

なぜなら俺たち人間には遺伝子なんかをはるかに超えるもう生命のレベルで「生きたいって思い」が組み込まれているからだ。

 

どんなに生きることがつらくとも、目の前が真っ暗でも、それでも人は生きていたいんだ。生きたいという思いは消せないんだ。

 

でも、中にはもうまじのレベルでこの生きたいを消しにかかってくる難所もある。

そうなると頭の中が生きていたくない、つまり「死にたい」に占拠される。

でもでもでも、だ。どれだけ頭の中では死にたい、となっていても生命はどんなときでも生きたい、いや生きる!と設定されている。

 

そしてここからさきは完全に俺の持論だけどさ、人生は生きていったほうがいいんじゃないかと思う。

理由は、俺がそう思うから、そう思うっていう理由。

 

俺も何度も死にたいと思ったし、今も思う。死のうと実際に試したこともある。

 

でも、やっぱり俺は今生きててよかったって思える。

つらいこともいっぱいあるし、死にたいって思いももちろん健在だけど、それでも

「これからも生きていくし、生きててよかった」って思える。

 

全然まとまりのない話を、ただ俺が書きたいという理由だけで書いたんだけど、

まとめると、今の俺は

 

生きていくしかない。

今日も明日も、そしてこれからも。

 

皆様これからもどうぞよろしくお願いします。