「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

徒然なる読書日記part3  シェリータークル『つながっているのに孤独 ~人生を豊かにするはずのインターネットの正体~』

こんにちは^^

tibugagu(@tugubagu0123 https://twitter.com/tigubagu0123)です。

昨日、おとといとなんとなく肌寒い感じがします。。

夜なんて寒すぎてヒートテックを着てましたね。

暖かくなってほしい。

暑すぎるのは嫌だけども。

 

 

今日のテーマ

さてさて今回は

徒然なる読書日記part3

 

part3の記事の対象となる本は、

シェリー・タークル著『つながっているのに孤独 ~人生を豊かにするはずのインターネットの正体~』

 

つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体

つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体

 

 

※前回僕自身の視点で「SNSのつながり」について記事にしたのでそちらも読んでいただけると嬉しいです。

 

www.dotama-kotoba.com

 

 

 

この本とても分厚くてページ数だけでも、526ページ(引用、脚注除く)あります。

なので今回は本の中で僕tigubaguが気になった章をピックアップして記事にしたいと思います。

 

一応すべての章のタイトルを挙げてみると

 

 

はじめに テクノロジーと人間の関係が変わる

序章 つながっているのに孤独

(PART1 ロボット化の時代 -孤独の中の新たな親密さ)

第1章 いちばん近くにいる隣人?

第2章 十分に生きている?

第3章 本当の同伴者?

第4章 ロボットに魅入られる人間

第5章 人間とロボットの共謀

第6章 ロボットによる高齢者ケア

第7章 ロボットと心を通わせる?

(PART2 ネットワークの時代 ー親密さの中の新たな孤独)

第8章 いつもつながっている人生

第9章 常時接続社会のアイデンティティ

第10章 電話をかけなくなった社会

第11章 人間に期待しない社会

第12章 秘密を告白する空間

第13章 脅かされるプライバシー

第14章 古き良き時代への郷愁

終章 人間の会話をとりもどす

エピローグ 娘への手紙

 

 

さすがに全部をとりあげて自分の感想を述べるのは大変なので、この記事では、第8章、第9章の2章を取り上げたいと思います。

※引用部分は一部ブログ筆者により改変抜粋してある部分があります。

 

全体を通して

本書全体を通して著者は

テクノロジーが及ぼす人間への負の影響

主に

 

ロボット(AI)とインターネット(ネットワーク)の側面から

 

論じている。

 

僕たち日本人になじみ深いのは後者のインターネット(ネットワーク)のほうだろう。

(が、近い将来ロボットとのかかわり方を考える、というのもなじみのあるものになるのやもしれない。 なってほしくはないけれど。)

 

ちなみにこの本のカバー折り返しにある要約文には以下のように書いてあった。

 

もはや「使わない時代」には戻れない。

だが、ロボットは、人の代わりになれるのか?

ネットはコミュニケーションの代わりになれるのか?

テクノロジーと人間の関係を問い続けてきた第一人者が突きつける、

今そこにある危機」とは?

 

 自分も常々思う。これだけインターネット(中でもSNS)が発達しているけれど、本当にこれはコミュニケーションたりえているのか。

自分はやっぱりSNSが発達してまちがいなくFTF(Face To Face)のコミュニケーションは減少(いや減少どころではないかもしれない。激減かもしれない)したと感じる。

誰かといるときもそこには必ずスマートフォンがある。

以前ファミリーレストランで7人の高校生くらいの男の子たちが誰一人はなすことなくみなスマホを見ているという状況をみて、なんのために一緒にいるんだと思わざるを得なかった。

 

SNSのメリットについては数あるほど書籍もあれば、何より皆様が体感で感じていると思うので、インターネットやSNSのデメリットを考える記事が1つくらいあってもいいと思う。

 

第8章 いつもつながっている人生

ネットが提供する自由な空間

私たちは新たに手にした接続のテクノロジーを気に入っている。それは親

や子により大きな安心をもたらし、ビジネス、教育、学問、医療を変革し

た。これらの変革には誘惑的な甘さがある。

(中略)それは人と会ったり移動したりするときのやり方を変えてしまった。

 

ネット時代の新しいマナー

モバイル技術によって私たちはお互いに”保留可能”になった。会って話し

ていても、かかってくる電話やラインでしょっちゅう中断される。手紙し

かなかった時代、誰かとあっているときにそれを読むようなマナーを受け

入れる人はいなかっただろう。新しいエチケットでは、目の前にいる人に

背を向けて、電話にでたりツイートを読んだりするのは普通のことになっ

ている。

 

 今では、テクノロジーがいつでもどこでもついてくるので、公私の区別、

仕事と家庭生活、遊びやリラックスなどの区別があいまいになっている。

私たちは常にテクノロジーが存在することに疑問を持たず、便利さを賞賛

し、伝統的で有益な譲れない一線を孫登することを忘れている。

 マルチタスキングの真実

スマホが常にそばに待ち構えていると、人はコミュニケーションの時と場

所を選ぶ感覚を失う。(中略)気を取られると仕事に集中できないと認め

る大人もEメールやテキストはどうしてもやめられない、という。ティー

ンエイジャーに、宿題をしているとき、例えばFacebookのメッセージやコ

メントがじゃまにならないか尋ねたところ、多くの子どもは質問を理解で

きないらしく、「だってそういうものでしょ。それが生活なの。」といっ

た答えが返ってきた。

 「処理」され「削除」されるメッセージ

ある人はスマートフォンに考えるための時間を奪われたともいう。ある人

は「私は一人で考える時間がない」と言う。「私は考える時間をひねりだ

すのに苦労している」という人や、「私は意識して考える時間を作ってい

る」という人もいる。

 

もっと考える時間を作るということは、スマートフォンのスイッチを切る

ということだ。しかし通信機器はかつてないほど私たちの身体と心の感覚

と密接につながっているので、それを切るのは簡単なことではない。

 

 僕がスマホを持つようになったのは2013年。時でいえば高校3年の時。

このとき僕はひきこもり状態だったので親がスマホを与えてくれたのは、これで外に出るきっかけにでもなればと思ったのか、はたまたただ周りがそうなってきているから与えたのか、はわからないがとりあえず与えてもらった。

 

そしてスマホを使い続けることはや6年。

確実に言えることは、まず間違いなく集中力が落ちた

 

ほかにも睡眠の質が馬鹿ほど悪くなった。

今もたまに寝る前にスマホを触らないときがあるのだけれど

そんな日は寝起きがむちゃくちゃいい。体の軽さが全然違う。

 

そして本書にもある通り、考えなくなった。

いや、もっと正確にいえばすぐに答えを求めるようになった、と言えばいいのか。

 

自己紹介の記事でも書いたように僕は哲学的な疑問を持つことが多い。

その疑問を持つことはいい。

しかしそれに対しすぐにインターネットで検索をかけ答えを得ようとするようになってしまった。

スマホがないときは適当でもいい、なんでもいいから自分で考えの筋道をたててぐちゃぐちゃにノートにかきつづけていた。

しかし今はもっぱらサイトに書いてあることをノートに書き写すという風に行動の内容が変わってきている。

 

また僕はSNSとしてはTwitterをしているが、Twitterのフォロー数は約2000人、フォロワー数は約1100人だ。

やっている手前こんなこというのはあれだけれど、このフォロー&フォロワーのほぼすべての人の名前も顔もどんな人なのかも、何も知らない。

そうしていると僕は果たして誰とやりとりしているのか、という変な錯覚に襲われる。

(ここらへんのことは前回のSNSの「つながり」についてのブログのほうでも書きましたのでよろしければぜひ読んでください。)

 

ここで著者のシェリー・タークルは面白い言葉を使う。

それは

物的自己

という言葉。

 

著者の不安として「常につながりあっている生活の中では、私たいはオンラインで出会う人を即座にもののように扱ってしまうにではないかということ」がこの第8章であげられていて、「対応できる限度を超える何千通ものEメールやテキストやメッセージに押しつぶされそうになっているとき、送り主の人格に思いをいたすことなど不可能だ」と自分の問いに答えている。

 

そもそも僕もTwitterをしていてあまたあるタイムラインの一つ一つのコメントに対して、この人はいったいどういう人で、どんな生活で・・・と思いをはせることなんてできない。

 

そしてツイートに書かれた言葉だけでその人の人格を決めてしまう。

まるでそこには人格が抜け落ちた、モノとして扱うような感覚

そして自分自身でさえもモノとして(ツイート=自分)のように扱ってしまう。

このことを著者は物的自己と名付けた。

 

僕としてはビシビシ心に突き刺さってもはや痛かった。

そういえばここ最近で人のことを本気で「知ろう」としたのはいつくらいだろうか。

スマホなんて気にせず、そこの目の前にいる人だけとコミュニケーションをとることに努めたのは最後いつくらいだろうか。

 

常につながっている社会では目の前にいる人は、「そこにいるけど、そこにはいない」。

そう感じられる。

 

第9章 常時接続社会のアイデンティティ

スマホを見ずにいられない

なぜ彼らは運転しているときもスマホを見るのだろうか。そこに理由らし

い理由はない。それは単につながりたいという欲求の表れなのだ。

「私は運転しているときも着信音はオンのまま。ラインが届くとどうしても見ちゃう。たとえなんであろうと。私のスマホはすぐテキストがポップアップするようになっているから・・・運転中にそれほどよそ見しなくてすむし。」

変わる親離れと自立の意味

例えば、かつて都会の子どもにとっては、街中を初めて一人であるくこと

はとても重要な瞬間だった。それは子どもが自らの責任で行動することを

学ぶための通過儀礼だった。怖ろしいことであったとしても、大人になる

ためにはそのような感情を経験しなければならなかった。だが携帯電話は

この経験のつらさを軽減した。

プロフィールづくりに追われる

フェイスブックのプロフィールに書かれていることで、本当のことはどの

くらいあるだろう。あなたはどのくらい嘘をつけるだろう

(中略)コツは自分がそれほどおかしな人間ではないとわかってもらえる

よう、破綻のないストーリーをまとめあげることだ。

 

僕たちは常につながっている。

もうここまでSNSが発達している世界で本当の意味で「ひとり」というのはないのかもしれない。

たとえ物理的には一人であったとしてもすぐにスマホを覗けば(見知らぬ)誰かとつながることができる。

 

先ほども書いたが常時つながっているとまず目先のことに集中することができない。

常に誰かから連絡が来ていないかいいねが来ていないかタイムラインは更新されていないかなどが気になり目の前のやるべきことがどんどんおろそかになっていく。

 

なぜこんなにも見たくなるのか。

 

歩いているとき、寝る前、そして果ては車を運転しているときでさえ。

(少し前バスの運転手が運転中にスマホをいじっていてニュースにもなっていた。)

 

それは簡潔に言うと、スマホひいてはSNSがそういうように作られているからだろう。

 

なんでもSNSの通知(LINEが来たり、いいねがきたり)が来たとき人間のドーパミンは通常時の400倍にもなるという。

この数字はコカイン使用時に匹敵するという。

(いかにドーパミンによるスマホ依存の怖さを説明した動画を貼っておきます。よろしければ見てみてください。)

www.youtube.com

 

コカインに匹敵・・・・そりゃ見たくなるわな・・・・

 

著者は接続し続けている社会ではアイデンティティの形成も変わってくるという。

そりゃそうだろう。

僕もよく使うのが「リアル(現実)の自分」と「ネットの自分」

リアルの自分はごまかしようがないが、ネットの自分はいくらでも自分が見られたいように改変することができる。

こうなってくると何が自分なのかわからなくなってくる。

 

「どれも本当の自分だよ」

言葉ではそういうけど、僕にはその実感はない。

 

僕は去年の10月一人でアジアを旅しているとき一はwifiももたずに行ったのだが、

あまりにもさみしくなって途中のバンコクシムフリーケータイを購入した。

そのとき思ったのが、昔の旅人はケータイなんか使わず旅をしてた。

圧倒的なさみしさもあったろうに、その精神的成長はきっと現代人のそれとは比べ物にならないだろう。

 

 

最後に

とはいえ、僕自身インターネットにはものすごくお世話になっているし、今更ネットなしの生活をしろというのはとてもじゃないけど無理だ。そもそもこのブログ自体、インターネットで公開しているし、Twitterを使って更新の告知をしている。

じゃあこの記事を通して僕は何を言いたかったのか。

 

たまにはスマホから離れて一人静かに過ごす時間も悪くないよ。

 

ってこと。

 

人生スマホに支配されているなんて、

なんか、嫌じゃね?

せっかく人間として生まれてきたからには、スマホの電源を切り一人静かに考えを巡らせ、自分だけの、これが自分の人生だって言えるオリジナリティを僕は見つけ出したい。 

 

 

 

今回は以上です。

シェリー・タークル氏の本著はまだまだ記事にする価値はある本なのでまたとりあげると思います。

ではまた次のブログでお会いしましょう!

 

※筆者のシェリー・タークル氏についてはTEDにてこの本をまとめたプレゼンをしているのでぜひそちらも見てみてください^^

字幕機能から日本語を表示できます。

www.youtube.com