「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

SNSの「つながり」について 

こんにちは。

tigubagu(@tigubagu0123)です。

昨日から友達が泊まりに来てて、

GWずっと一人で話す人がいない中の友達の宿泊。

いやぁ、やっぱり話せるってのはありがたい。

友達の存在は大きい。

感謝すべきことですね。

ありがたい!

ちな今日も博多はどんたくげな!(^^)

 

 

 

さてさてそんな友達宿泊してるという今日

のテーマは

SNSの「つながり」について

 

これを読んでいるあなたはSNSをやっていますか?

僕tigubaguはTwitterとLINE(LINEをSNSにいれるかは人によるかもだけど)をやっています。

中にはTwitter、LINEにとどまらずFacebookInstagramなどもやっている人も世の中には結構な数存在すると思います。

時にはなつかしのmixiなんかもやってる人もいたりしますよね。

 

そんなSNSですが、このSNSを使う際に必ずセットで使われる言葉が、、、

 

つながる

 

SNSをやっている皆様なら一度は耳にしたことありますよね。

むしろつながるためにSNSをやっているといっても過言ではないかもしれません。

 

しかしここで僕は疑問に思いました。

「つながるってそもそもどういうことなのだろう。」・・・①

「つながるつながる言うけれど誰と、どこまでつながればいいのだろう。」・・・②

 

まずは①から。

この場合のつながりは、「SNSにおいてのつながり」でいいでしょう。

僕はTwitterとLINEしかしていないので、Twitterの場合で言うと

 

自分と相手が、フォローして、フォローされる、つまりフォロバされる関係をつながる、というのだと思います。

 

しかし、ではこのSNSにおけるつながりなるものが果たして価値のあるものなのでしょうか?

 

日常生活においてのつながりは

一般的な場合だと

家族、親友、恋人、会社での仲間、親戚同士

などがあげられると思います。

SNSのつながりと対比して現実のつながり

 

これらのつながりは価値のあるもの、自分の人生にとって有益となりえます。

まさにその人の存在が自分にとって価値あるもの、だといえます。

 

しかしSNSにおけるつながりは、果たしてそれほどのものなのでしょうか。

 

ここで②の問いが出てきます。

 

SNSにおけるつながりはとても抽象的です。

 

あまたあるユーザーさんのどんな人と、何人つながれば自分は満足するのか。

そもそも相手の名前(本名)、顔、人柄、なにもかもがわからないことがほとんどです。

しかもつながってもつながっても、もっともっとつながりたいつながりたいと欲は出てくる。

(面白いですよね。これってSNSを作り上げた人たちの策略なのかもわかりませんが、ほんといつまでたってももういいや、とはならない。フォロワーが増えれば増えるほどもっともっととなる。まさに人間の心理をついたシステムです。)

 

僕は思うのです。

いくらSNSでつながりを増やしても、それは僕たちの生きる糧や、前を向く力にはなりえないんじゃないかと。

僕たちの力になるのは、日常生活のつながり(現実世界のつながり)においての人たちの存在だと思います

 

SNSのつながりが仮に力になったとしても、すぐにその効力は消え、また新たなつながりを求め始めてきりがありません。

そして仮にSNSでのつながりを探すことで体力も消耗してしまいます。

 

作家の鴻上商事さんが著書『孤独と不安のレッスン』の中でこのように述べていました。(ブログ筆者により一部改変 最後にアマゾンのリンクを載せておきます。)

 

「インターネットが登場してもっともよくない影響は『簡単に慰められることだ』」

 

SNSがある現代、現実で傷つくとSNSに逃げ、SNSのつながりで癒しを求める人が大勢います。

かくいう僕も何度癒しを求めたことがあります。

 

しかし人間として成長するためには、自分自身と向き合い傷の痛み、孤独のつらさと向き合う必要もあります。

そうでなければ人間の精神としての成長はないようにも思えます。

 

ただここまで書くと

じゃあSNSのつながりをなくせ!とお前は言うのかよ、ととらえることもできます。

 

そういうわけではありません。

もちろんSNSのつながりを維持しても大丈夫ですし、SNSに癒しを求めるときもあります。

しかしウエイトの問題です。

 

SNSのつながりをメインにしてしまっては、いまあなたの周りにいる人たちのつながりが希薄になるおそれがあります。

 

そして中にはSNSのつながりに苦しめられている人いると思います。

そういう人にはぜひ言いたい。

 

縛られる必要はないんだよ、と。

しょせんSNSです。

 

それと最後に一つ。

要は使い方の問題、というのもあります。

 

SNSから入り現実のつながりを得ている人もたくさんいると思います。

かくいう僕も今の活動仲間とはSNSで知り合いました。

 

まとめると

 

SNSのつながりはほどほどに、現実のつながり、ひいては自分の大切なもの、自分のやりたいことに力を入れていってほしいな

、と思います。

 

今回は以上です。

では、また明日のブログでお会いしましょう!

 

ps. 

現実に今居場所がなくてSNSにしか居場所がないという人もいると思います。

僕はこんな記事を書きながらも、SNSに居場所を求めることはいいと思います。

が、いつか自分ができるタイミングでいいので少しずつ目の前の現実の世界の居場所探しも少しずつやってみてください。

ゆっくりゆっくり。ほんとにゆっくりでいいです。

僕もゴリゴリにひきこもっていたころはネット世界しか居場所はありませんでした。

そのときネットで知り合えた人がいるからこそ今があると思います。

僕もまだまだひきこもり気質ですから現実と向き合うときは怖い時もあります。

しかし現実の場にも必ずあなたの居場所はあります。

僕もまだまだ模索中ですが、必ずあると信じて今も毎日を生きています。

ゆっくりいきましょう。僕も横にいます。

 

孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

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