「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

こんなことを考えている part5 「がんばって」と「無理をしないで」

こんにちは

 

チグバグです。

 

今回のテーマは「がんばって」と「無理をしないで」、について。

 

僕は、よくいろんな人に「無理をしないで」と言う。

 

それを言う理由としてはまずもって「がんばって」という言葉があまり好きじゃないというのがある。

 

がんばって、と言われる人は基本的にすでに頑張っている人だ。

そのような人に「がんばって」というのはなんだか違う気がする。

(ただTwitterでも呟いたように、「がんばって」という言葉には「貴方の成功を祈っているから」という意味も込められているみたいなので、一概に「違う気がする」とははねのけられないな、と最近思いつつあるのも事実。)

 

と、まあそんな感じで「がんばって」にかわる言葉を探したとき僕が一番しっくりきたのがこの「無理をしないで」というフレーズだった。

 

これから何か始める人や、挑戦する人に無理をしないで、ということにより頑張りすぎず倒れないでね、という意味合いもこめて言っている。

 

ただ、最近思うのが、この無理をしないでというのは受け取り方によっては嫌な思いをさせてしまうのではないか、ということ。

 

例えば、これから新たな挑戦をするということで燃えたぎっている人に対して無理をしないで、というのは相手の士気をさげるニュアンスととらえられてしまい、むしろこのような場合だとがんばってのほうが響くのではないだろうか。

 

また他のケースでは、ずっと仕事を休んでいて明日から仕事復帰する人に対して無理をしないでね、というのも何か違う気がする。

というのも、そもそも(僕も仕事で倒れたことがあるからよくわかるのだけれど)

仕事から離れていた人が仕事復帰するというのは、もはやそれだけでとてもすごいことであり当人にとっては「無理をしていること」なのだ(少なくとも僕はそうだった)。

 

そのような人に対しての無理をしないでね、というのは仕事行かずに休んでおけ、という風な意味になるのではないだろうか。

だからといってがんばって、というのもそれでまたがんばりすぎて仕事がつらくなってしまったら元も子もない。

 

そもそもの話、人を励ますという行為はとても難しい行為だと思う。(もちろん同じ系統の人を慰めるも同じくらい難しい)

 

本来ならば自分で立ち上がるところを、自分ではない他人に立たせてもらおうとするのだからそれは大変だ。

 

自分ですら自分の心はわからないことが多い。

それゆえ自分がどのような言葉でどう喜ぶのかを、どう元気になるのかの見極めも難しい。

そんな自分の心を、他人の言葉で元気にさせてもらう、というのが「励ます」という行為だと思う。

 

こんなテーマの時は魔法の言葉「人による」という言葉があるが、今回もそれに頼ってみよう。

そう、結局どんなことばで励まされるのがいいのか、慰められるのがいいのかは人による。

がんばってがいい人もいれば、無理をしないでがいい人もいる。

 

目の前にいる他者がどのような言葉で励まされたがっているか、見極める。

ま、そんなこと難しすぎてとてもじゃないけど僕にはできません💦

 

当分は「無理しないで」を使っていこうかな。

他者を見る力をこれから、「無理せず」「がんばって」養っていこうと思います。