「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

こんなことを考えている part6 「自分の弱さ」

こんばんは。

 

チグバグ(@tigubagu0123)です。

 

ずっと自分の弱さについて頭を悩ませている。

 

「弱さ」にもいろいろ種類がある。

 

僕の場合の弱さは、「自分の考えに自信を持てないということ」だ。

 

僕は社会で普通と呼ばれている働き方ができない。

週5日で毎日8時間労働+残業。

絶対に無理だ。

かつてやったことがあるが、冗談抜きで精神的にも体力的にも辛くなり死にそうになった。

 

なので普段は拘束時間の長くないバイトをいくつかやったりしながら食い扶持をつないでいる感じだ。

 

自分としてはこの生活はとても楽しいし、これからもしばらくはこの生活を続けていくつもりだ。

 

しかしこんな僕を見て、「年相応の普通の働き方ができている人」たちは、優しさという名の隠れ蓑のもとに僕に対してさまざまな言葉をなげかけてくる。

 

「正社員にならないとお先大変だよ」

「いつ結婚すんの?」

「親がたおれたときはどうするつもり?」

 

正論だ、確かに正論なんだ。

しかし、「正論」と「自分の生き方」ってのは必ずしもシンクロするわけではない。

 

僕はここで、「今の日本社会では正社員で働いて結婚して定年退職を迎えることが良しとされているけど、いつかはそんな考え方古いって言われる社会になるかもしれませんよ」、

なんてことを言いたいわけではない。

 

いまの日本社会ではかわりるるあるといっても、「正社員でケ混んして定年退職を迎える」ってのが良しとされる風潮はまだ根強いと感じる。

 

そんな中で、僕は自分の生き方に自信を持ちたい、ということである。

 

自分ひとりでいるときは自分の生き方に堂々と「いいじゃん、」自分がいいって思っていれば十分じゃん」と太鼓判を押せるのだが、

 

誰かにそこをつかれ「正論」を投げつけかけると、この太鼓判はすぐに効力を失ってしまい、自信をなくすのである。

 

まあ、簡単に言えば「自分の弱さ」とは「自分に自信が持てない」ということだ。

 

自分に自信を持つためにはどうすればいいのか。

この問いは考えすぎて手垢べっとべとになっているほどだ。

 

僕は「正論」に弱い。

社会で良しとされていることに、自分ではどう考えても納得できなくても、それが普通と言われると萎縮してしまう。

 

自信を持つということについてこのブログでもいろいろと考えを発信していけたらなと思います。

 

短いですが今回は以上です。