「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

幸せの基準値は低いほうがいい

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 着る服があり、食べるものがあり、寝る場所があるだけで

つくづく思うのが、「着る服があり、食べるものがあり、寝る場所があるだけで」十分幸せだなってことです。

夜寒い日にゴミ出しに行ったときなんかは(福岡は夜のごみ回収が基本)、本当に寝る家がある幸せを痛感します。

お金もない貧乏1人暮らしですからご飯は毎食自炊。

だからこそ、たまに食べる2000円するピザがおいしくて仕方ないんです。

 

衣食住で絶対的にすべてが満たされる!とはもちろん言いませんが、

衣食住があるからこそ、「彼女ほしい~」とか「友達作りたい~」などの悩みをきちんと悩むことができるんです。

悩めるだけで十分幸せな位置にいるのです。

1つうまくいかないと全部だめなのか?

僕もしょっちゅうあるんですが、なにか1つがうまくいかなかっただけで全部がダメになったと思ってしまうこと。

本当は全くそんなことないんですけどね。

全くそんなことないのに、「もうだめだ!」と思ってしまうこと自体、(逆説的ではありますが)すごく幸せなことかもしれません。

ガリガリ君当たったら最高じゃないですか

ガリガリ君最近買ってないんですけど、僕ほとんど当たったことないんですよ。

当たったら最高じゃないですか。

ガリガリ君当たったら最高って思えるくらい幸せを感じる基準値を低くしていたほうが、自分の周りに幸せがたくさんあふれてくると思います。

 

今日もよろしくお願いします。