「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

ニヒリズム(虚無)の先も結局虚無 むじろ生きるの楽なのでは?

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

この1年就労支援を頑張って通い続けた頭ではなく、身体でもって気づけたことがある。

 

どれだけ考え事や悩みごとで頭がいっぱいでも、

どれだけ今「やる気出らんたい~」ってときでも、

明日になれば就労支援に通う。

で、家に帰って、飯食って、ブログ書いて、風呂入って、寝る。

また明日就労支援に行く。

これの繰り返し。

 

これを続けていると自分が何かで悩んでいようが、考えていようがそんなこと関係ないんだなと気づいた。

わからないことがあろうが、不安があろうがなかろうが、ただ就労に行って帰って飯食って寝るだけ。

これだけ。

 

それで、僕は人生もこのことと同じなんだと思った。

「人生の意味」とか「完璧な人生」とか「曇りのないすがすがしい心で人生を楽しむ」とかいろいろ言われれるけれど、そんなのは言うなれば単なる飾りにすぎない。

本質、っていっていいかはわからないけれど、そんなものなくて、仮にあるとすれば「ただ生きてりゃいい」ってことなんだ。

だから人生毎日仕事同じことの繰り返しと腹をくくって働いているまさに世の中の大多数の人たちは僕はある意味ではニヒリズムだと思う。

だけどそのニヒリズムこそが生きやすさを生むんじゃないのかな。

 

淡々と同じことを続けるだけ。

でもそのおかげで頭の中が暴走しても「この頭の暴走と明日の生活は関係がない」と少しずつ割り切れるようにはなった。

 

中には「そんなことはない!人生にはきっと素晴らしい意味がある!」という人もいる。

そういう人はそういう人で全然いいと思う。

ただ僕は虚無の先もまた虚無だと思う。

だからこそ楽なんだろうけれど。

 

目の前のやることやれるなら、幸せになれる気がする。

 

今日もよろしく。