「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

頑張らなくても幸せにはなれるのか?

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

「頑張れ!」とこの現代日本に生きていると言葉通りあちらこちらから聞こえてくる。

頑張ることが当然であり、頑張らないと生きている価値がないみたいに。

 

じゃあそうやって毎日をしゃらがむに頑張っている人がみんな幸せ(そうに見える)かというと全くそんなことなくて、むしろ不幸な人の方が多い気がする。

みんな幸せだったらこんなにもみんなイライラしないはずだ。

もっと心に余裕があるはずだ。

 

頑張らないと幸せにはなれないのか?

最近この問いを僕は抱えている。

僕は単発的な頑張りならできるがすぐに燃料が尽きて長期的な持続する頑張りはしきらない。

それにその単発的な頑張りというのも、人並み以下というモノだからそもそも世間的にみれば「頑張った」にも入らないかもしれない。

そんな僕だからこそ世間や社会の言う「頑張れ教」にはどうしても賛成しかねてしまう。

というか賛成してしまったら僕はどうやって生きていけばいいんだ。

だから僕は自分を守るためにも「頑張らなくても幸せになれるのか?」という問いを抱え続けている。

 

頑張らずに幸せになるための大きな条件は、「人と比べないこと」だろうな。

人と比べたとたんに今の自分を否定することになる。

しかし現代日本、ひいては先進国の資本主義社会では不安をあおり、人と比較させ、今の自分ではいけないと思い込ませることにより経済をガンガン回している。

そんな状況に身を置いている中で完全に人と比べないようにして生きる、というのはほぼほぼ無理だろう。

でもすべて無理というわけでもない。

人と比べないようにできる範囲での努力はする価値はあると思う。

まずはここからだな。

 

俺は頑張りたくない。

頑張らずにできることだけやって幸せになれるならそれでいい。

 

今日もよろしく。