「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

問題は問題と感じるから問題なんだ

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です!

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楽観主義ほど生きやすい

僕もそうなんですが、人の中には事あるごとにつけ、すごく小さなことでもとても大きなこととしてとらえる人がいます。

昨今のメディアの煽りも受けてこういった人はどんどん増えています。

 

先日知り合いの方とコロナウイルスの騒動について話していた時に、その知り合いの方がこんなことを言ってくれました。

「あるのは事象や現象だけで、それらを問題と捉えるかどうかは当人次第なんだよね。」

 

すごく共感しました。

僕は完璧主義なこともあってかことあるごとにいろいろなことを「問題」として設定し、自分の中で悩み葛藤しています。

特に自分が考えていることに不備や、不完全なところがあるだけで、お腹が痛くなり、パニックになります。

しかし当然のことですが、僕がパニックになるようなことは他人からしたらそれこそ心の底からどうでもいいことであることがほとんどなのです。

人に自分のつらさなんかを話すと、話しているうちに相手の人から「何で苦しんでいるのかわからない」としょっちゅう言われてきました。

つまり、僕が問題としてとらえていることは他人から見れば問題でも何でもないんです。言うなればただの現象。「ただそうであるだけのこと」とでもいいましょうか。

 

ここ毎日をさわがせている「コロナウイルス」にしても同じことが言えます。

まず、あるのは”現象”なんです。

その現象を見て、多くの人が問題として認識し、パニックを起こしている、という構図です。

ただコロナのような社会問題に関してたちが悪いのが、どうしても現象そのものの姿は見えにくいということです。

なぜなら現象を多くの人に伝える際にはメディアのバイアスがかかりますから、何が真実かは究極のところわからないことになります。

 

だからこそ、まずは起きている現象そのものをしっかりと知る必要があります。

そしてその現象を問題と認識するなら、淡々と慌てず騒がず落ち着いて対処していけばいいだけの話なんです。

 

現代のメディアの過剰な煽りや、デマツイートなどを見るにつれ、僕は「自分が感じた問題意識を大多数の人と共有したくて仕方ないのかな?」と思ってしまいます。

自分で問題と感じるならそれは自分だけで処理すればいいだけの話ではないのでしょうか。

コロナ騒動も、なんだか僕には一つのお祭り騒ぎのように感じられます。

問題と感じるなら、過剰にはしゃぐのではなく、たんたんと落ち着いて対処していけばいいのではないでしょうか。

それに中にはコロナを問題として、とりあえず認識はしているけれども、データだけを見ればインフルのほうが怖い、といった理由からそこまで慌てていない人も一定数存在します。

 

話がずれましたね。戻します。

タイトルにある通り「問題は問題と感じるから問題」なんです。

コロナウイルスも問題と感じるから問題なんです。

言ってしまえばどんな大きな問題とされていることも、結局は個人がどう認識するかどうか。

どのうえで問題と感じるなら、慌てず騒がず、たんたんと対処すればいいことです。

過剰に問題意識の共有を他者に押し付ける必要はありません。

 

そういう意味では、楽観主義者ほど生きやすいのかなと僕は思います。

何が起きても、基本姿勢は「なんとかなるさ。なるようになる。」とすれば、たとえ自分にとっての問題が発生しても落ち着いて対処することができます。

やっぱり生きていくうえで楽観主義者になるメリットは大きいですね。

 

今日も皆様の一日が良き日でありますように!

ではまた!^^