「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

後のために、どれだけ平凡なことを繰り返せるか

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

・今1個の飴をあげる のと

・10分後に2個の飴をあげる だったら子どもはどちらを選ぶのか、という実験で、

多くの子が前者を選んだ。

しかし幸福を感じていた子供たちは後者の方が多かったという。

 

上の実験にもみられる通り、大きな幸福、刹那的ではない幸福を得るためには時間がかかる。

目の前の、すぐ手に入れられて、刺激的な幸福はそのぶん失うのも一瞬だ。

長く続く幸福を得るためには、それを手に入れるための準備をしなければならない。

 

すごく当たり前のことを書いている。

だけどこのすごく当たり前のことが、なんでもかんでも一瞬で手に入れられる(ような気がする)時代にはとても大切なことなんだ。

なぜなら、なんでもかんでも一瞬で手に入れてそれで本当に幸せを感じることができたのか?

実際はそうじゃないと思う。

自分が長い間準備してきたものがようやく人に認められた時の幸せの方が何倍も大きいし、そういう幸福の感じ方しか記憶にも残らない。

 

もちろん時間を懸けたら絶対に幸福が手に入れられるわけじゃない。

どれだけ勉強しても試験に落ちるときもあるし、どれだけ準備しても大事なプレゼンの日に大失敗をかますときだってある。

だけど僕は思う。そうやって一生懸命準備をして1つのことに臨んだ人っていうのは、そうでない人よりも、質の高い幸せを今後も感じられるようになっていると思う。

試験に失敗したとはいえ、一生懸命勉強した知識は頭の中に入っている。

そこで「知識を増やす喜び」をしり、この先もより勉強をして、その得た知識で人を幸せにできるかもしれない。

なにより他人を幸せにできる人はまちがいなく幸せになれる。

 

僕もスキルを身に着けるために毎日勉強、訓練をしている。

ようやく、ほんとようやく少し形になってきた。

それにより得られる喜びは本当にうれしいものだ。

 

タイトルにあるとおり繰り返す平凡な毎日の中でどれだけ継続し、繰り返すことができるか、どんなこともこのことが一番大切だと僕は思っています。

 

今日もよろしく。