「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

悲劇のヒーロー/ヒロインにはなるな

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

 

自分が今どれだけつらい状況にあるかを人ってのは話したい生き物なのかなとは思う。

だけれどそれを聞かされている側はえてしていい気分はしない。

まずなんて声をかけてあげればいいかわからない。

頑張ってる、頑張ってるとなぐさめればいいのか、もっと他につらい人もいる!と起こればいいのか、そのつらさには意味がある!と激励すればいいか、とにかくなんて言えばいいかがわからないのだ。

 

それに言った側も言った側で相手が聞いてくれることに期待をして、そうでなかったときにすごく嫌な気分になる。

そして何よりひどい場合にはいつでもどんな時でも相手が自分の不幸話を聞いてくれる!と思い込んでしまうときもある。

僕も一時期はそうだったからすごくわかる。

だけれど当然みんな暇じゃないし、不幸話なんて聞いても何も楽しくないので耳を貸してはくれない。

 

僕も毎日いろんなことがあって、過去のトラウマに未だに悩まされたりもしている。

だけれどそれで「自分はなんて不幸なんだ・・」と自己憐憫が始まり、悲劇のヒーローモードに入ってしまうとまじでもっともっとつらくなる。

誰も手を差し伸べてはくれないし、誰もかまってなんてくない。

というか一人暮らしだから誰も周りにいない状況で悲劇のヒーローモードになると自分のメンタルがどんどん削れていくだけである。

 

つらいこともたくさんある。

だけれどそれに感傷的になって自分は何て不幸なんだ、と言い始めたらよりつらくなるし、未来に目を向けられなくなる。

ここが人生の本当につらいところでもあるし、大変なところでもあるけれど、つらいときつらいつらいと言える状況ばかりではないってことなんだ。

 

もちろんカウンセリングや当事者会など話せる場であれば存分に自分のつらさ、不幸を話してもいい。

だけれど日常の生活で悲劇のヒーロー/ヒロインでいることにはなんのメリットもない。

 

今日もよろしく。