「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

誰かのために生きたい~自分の命どう使う?~

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 何に命を使おうか

生きているとだれしも必ず「自分って何のために生きているのだろうか」と自問自答することはあると思います。

大体この手の質問を自分に投げかけるときはうまく行っている時ではなく、なかなか人生思うようにいかないと気だと思います。

なかなか思うようにいかないときに、「何のために~」なんて問うたっていい答えはでにくいですし、そもそも答えなんてでず思考の袋小路にさまよってしまうのがよくあるパターンです。

 

僕は「何のために生きるのか?」という問い方を「自分の命を何のために使おうか?」と問い方を変えてみることにしました。

こうするとより具体的に自分が何を望み、人生で何を為したいのかが明確になるかな、と思ってのことです。

結論から書くと僕は「誰か他者のためにこの命使いたいな」と強く感じていることに気が付きました。

もう少し具体的に書くなら「他者から感謝され、必要とされる存在でいたい」という感じですね。

別に改まって書くことではなく、生まれてきたほとんどの人が僕と同じことを祈り、願い、求めていると思います。

しかし僕は結構ひねくれているところがあって、自分は一人でも大丈夫なんだ!と突っぱねているところがありました。

今回このようにきちんと紙に自分が何のために命を使いたいかを何回かにわけて実施してみたところ、やっぱり僕もご多分に漏れず他者からの感謝、他者から必要とされることを望んでいるんだなということに気づけました。

僕の中ではとても大きなことでした。

日ごろの小さなことから

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僕は昔から、「いつかは海外に行ってやりがいのある仕事するんだ!別に給料は多くなくてもいい!生活できて、やりがいを感じられ、のびのびと働きたい!」という夢のような、目標のような、信念があります。

 

もちろん本気でそう思っているわけではなく(本気でそう思っているなら実際に行動してるはずですからね。)なれたらいいなくらいのものではありますが、この目標の延長として世界の困っている人たちのために働き感謝される存在になりたい、という気持ちが同時にすごく強くなってきたんですね。

もちろん夢や、目標をもつのは自由なんですが、こうなってくると僕は「人から感謝されるためにはなにかどでかいことしなきゃいかんたい!!」となってしまうんです。

 

人から感謝される行動、というのは何も海外に飛び立ってボランティア活動するまでしなくても、今日この瞬間から始めることができるものです。

例えば駅やお店で後ろの人のためにもドアを持っていてあげるとか、お店でお買い物したら店員さんに「ありがとう」を言うとか、いくらでもやりようはあります。

他にも環境にやさしい洗剤を使ったり、省エネな生活をするのも遠回しかもしれませんが他者のために生きていることになりますよね。

 

僕は将来的にはより直接的に他者からの感謝を目に見える形で受ける仕事につきたいなと思っています。

しかし今からでもできることはたくさんあるのでそれを日々やっていけたらなと思っています。

それにきっとそういう風に生きているとどこかで誰かが見てくれているものなので^^

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が良き日となりますように^^

ではまた!^^