「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

なぜ「失敗すること=恥ずかしい」となるのかを考えた

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguです!

 失敗することは人間が生きていく上で避けられない。

成長を望むなら、成長=失敗といってもいいくらいだ。

だけれど、こと日本社会においてなぜこれだけ失敗することが「恥ずかしい」と感じるのだろうか。

ちなみに僕個人の意見としては「失敗することは全く恥ずかしいこと」とは思わない。

思わないけれど、「恥ずかしい」と感じていたほうが日本で生きていく上でいろいろと有利なのかな、とも思ったりする。(個人の見解です)

以下僕が考えた日本社会において、本来は失敗することは一切恥ずかしいと感じなくてもいいのに、「失敗が恥ずかしい」と感じてしまう理由です。

輪を乱す行為となるから

大きな理由は失敗することが「輪を乱す行為」と認識されているからじゃないかなと思います。

日本は昔から農村社会で、みんなで協力して1つのことを成し遂げてきました。

だから言葉は悪いですがそこで足を引っ張る人がいるとそのグループとしては都合が悪いわけです。

ですから、グループにおいて失敗を多くしてしまう人に対して「恥ずかしい」という感情を抱かせることにより、失敗してしまう状態=未熟な状態ではグループの活動に参加させない、という効果が生まれたんじゃないのかなと考えました。

 

「未熟者が人前に立つな」という考えが日本では強いような気がします。

(ほかの国のことを詳しくは知らないので何とも言えませんが、ニュージーランドに短期留学していたときに、英語が下手で全然話せなくても「I want to appeal!!」と言い授業でみんなの前に立って全然すらすらじゃなくても英語でスピーチをすることに挑戦したことをクラスのみんなはすごく褒めてくれました。)

 

未熟者も何も最初はだれだって未熟者なんですけどね。。

未熟者でもどんどん挑戦していけば上達するスピードはより早くなると思うのですが僕だけでしょうか。

マウントをとれる対象になるから

競争社会において失敗することは、「自分はあなたより劣っている」ことを示す大きな証拠になります。

失敗してしまうと相手からマウントをとられ「お前は俺より劣っている」とみられます。(もちろんみんながみんなそうやって見下す人ばかりではないです。)

だから相手より見下されないようにするためには失敗しちゃいけないことになります。

それでどんどん失敗できないようになっていくのです。

 

だけれど最初にも書いたように成長には失敗が欠かせないので、「失敗しないで成長する」というのは不可能だと思います。

それに失敗できないと思うと、せっかく楽しんで始めたことが楽しくなくなってしまいます。

 

 

以上2つが僕が考える日本社会で失敗が恥ずかしいと感じてしまう理由です。

僕は自分で自分をすごく苦しめてしまう性格なので、気を抜けばすぐに自分に対して「失敗しちゃダメだ!」と言い続けています。

そりゃ生きづらいですよね。

少しでも生きやすくなれるよう肩の力を務めて抜いています。

 

今日もよろしくお願いします。