「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

”あきらめたら”楽になる

おはようございます^^

こんにちは。こんばんは。

tigubaguこと桂木大輝です。

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 がんばれ教の蔓延

日本はとにかく頑張ること、1つのことを粘り強く続けること、を美徳としています。

僕自身も自分のやりたいことに関しては続けることにはとても価値があると思っています。

しかし自分がやりたくないことでも、もったいないから続けなさいということでがんばりを強要される風潮が日本ではとても強いです。

 

こういったがんばれ!が蔓延している状態が好きな人は別にそれでいいと思いますが、僕はとても息苦しいです。

「悩み」はそのことにこだわり執着することから生まれる

がんばらなければ!なんとかしなければ!とやりたくないことに執着してしまうとそこから悩みが発生します。

 

悩みとは一言で言うと「執着」から生まれます。

自分の中でモヤモヤがあって、そのモヤモヤがどういったものかはわからないけれど、なんとかはっきりさせなければいけないんだ!ってことで執着して気にし始めると悩みになります。

  • どうして俺は自分のことがこんなにもわからないんだ!
  • どうしてこんなに考えているのにモヤモヤが消えないんだ!
  • どうしてこんなにも俺はダメなんだ!

みたいな感じでですね。

 

執着を手放せられればいいんですけれどなかなかそうもいかない。

そこにはプライドやら、アイデンティティやらいろいろな心理状況が関わってきます。

例えば男性なら、男ならこんなところであきらめるわけにはいかない!ってなって執着から離れられないっていう人は多いかと思います。

まさに男性のプライドによる執着ですよね。

 

アイデンティティってのも執着をさせる原因として大きいですね。

例えば「大人」というアイデンティティがあれば、

大人は甘えてはいけない!という思い込み(通説)により他者に甘えることができず自分で抱え込んでしまいつらい思いをしてしまう、といった感じです。

 

社会の中(世間)で生きている僕たちにとってこういったプライドやアイデンティティを完全になくすことは不可能です。

しかし完全になくすことは不可能でも、意図的に意識しないよう努めることはできます。

そしてそうなれば執着も減り、悩みの数も減ることになります。

上手にあきらめる

この節を書くにあたって、諸富祥彦著『人生を半分あきらめて生きる』を参考にします。

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

  • 作者:諸富 祥彦
  • 発売日: 2012/05/30
  • メディア: 新書
 

 

本著から以下の文章を引用します。(一部改変)

日本人の多くが「がんばること」「あきらめないこと」は得意でも、上手に何かを「あきらめること」は大変苦手で、そのため人生で大切な何か(目標、仕事、結婚、恋愛、美貌など)をあきらめざるを得なくなると、あまりにつらく、苦しい日々をはめになる!と思い込んでいます。

 

日本人は「努力する」「がんばる」「あきらめない」が大好きです。ある意味でこれらは至上の美徳とされています。簡単に「あきらめる」人はダメな人とみなされがちです。

その結果、「あきらめざるをえない」現実に直面した時の対処法、つまり「じょうずなあきらめ方」がわからずに、たいへんにつらく苦しい思いをします。

僕自身身をもって「その通りだ!」と言えますね。

上手にあきらめることができず、考えてもどうにもならないことをずっと考えてたり、気にしなくても死にはしないことをいつまでも気にし続けていたりと、本当にあきらめ下手だなと思います。

 

上手にあきらめるとは、僕の考えで言うならば「どうにもならないことに執着しない」ってことです。 

そして人生のほとんどのことって言うなればどうにもならんことばかりなわけですよ。

それに悩もうが悩むまいが、ふっつうに生きていけます。

それなら変なプライド、アイデンティティに拘り、執着し悩みを生むのであるならば、とっととあきらめて楽に生きるほうを僕は選びます。

絶賛あきらめの練習中です^^!

 

今日のブログは以上です^^

今日も皆様の一日が素敵な日となりますように^^

ではまた!^^