「言葉の意味」を追い求め

こんにちは。tigubaguこと桂木大輝のブログへようこそ。発達障害当事者、ひきこもり経験者の僕が日々感じたことを徒然なるままにつづっていきます。読んでくだされば幸いです。

「誰が言うか」と「何を言うか」

こんにちは。

tigubagu(@tigubagu0123)です。

昨日散髪にいってきました^^

髪が短いとほんとすっきりしますよね!

セットするのも簡単だしいいことづくし^^

ただ散髪をしにいくときはいつも

「散髪中話しかけられたら緊張するなあ」なんてことが気になってなかなか散髪にいけないtigubaguなのです。

しかし、これも話しかけてくる人による、といいますか、昨日いった散髪屋の人はとっても気さくな方でむしろ僕から話かけている状況でした。

やっぱりコミュニケーションなるもの、うまいも下手も相手ありきなのかな、と思い直しましたね。

 

 

 

さてさて、今回のテーマは「

『誰が言うか』と『何を言うか』」。

 

先日朝起きてニュースを見ていると

 

本当は中卒ニートなのに元ヤンから東大へいき経営者経験あり経歴を詐称して講演会などを開いていた

 

というニュースがありました。

 

僕はこのニュースの内容云々よりも人というのはえてして「何を言うか」よりも「誰が(どんな人間が)言っているのか」にとても関心があるのだなと改めて気付かされました。

 

今回のニュースの内容だと、ウソがばれるまでは多くの人が彼のいうことに耳を傾けていたのが、とたんに経歴がわかったとたん全く聞く耳をもたなくなる。

 

つまり話の内容そのもので内容を判断していたのではなく、「誰が」言ったかどうかで話の内容を判断している、というわけです。

 

もしかりに同じことをスティーブ・ジョブズイチローなんかがいえば多くの人は話の内容に納得するわけです。

 

 

ここからは完全に僕個人の考えなのですが、

 

言っている本人と、言っている内容を区別することができれば、

もっと様々なことから学ぶことができるんじゃないか、と思うのです。

 

たとえば「あの人がいうことは信用ならない」とか、もっといくと「あそこに属している団体のやつらのことは聞いちゃだめだ」とか、

 

本当にダメなのかどうかはその内容を一度言っている本人から切り離し、自分で吟味し、自分自身で最後は判断する必要があると思うのです。

 

しかし自分でいっておいてなんですが、

言っている本人からその内容だけを切り離すのはどうしても人間として生まれてきた以上は完全には不可能だとも思っています。

 

やはり言葉という性質上内容そのものよりも「誰が言うか」に重きを置いているのも事実です。

 

ですので僕の結論としては、

結局は

 

言われた内容が自分にとっての益になったり、成長につながる場合は、「誰が言うか」で判断しない。

 

としています。

 

全部の言われたことを言っている人を無視して判断するなんてことはとてもじゃないけどできませんから。

 

皆さんはどのように考えますか?

 

ではまた次回のブログで!